平凡と非凡の狭間、あるいは才能と技能の勘違い

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他人の非凡な才能に嫉妬して、自らの平凡さをただ嘆いていた。
この世に生を受けて30年弱だけど、この間そんなことばかり繰り返してきた。

あの人は才能があっていいな。
どうせ俺なんて何もないし。

そんなことばっかり思ってた。

自分の才能って一体何なんだろうなぁとずっと思って生きてきた。
一生懸命打ち込める何かがあるってのは本当に幸せだと思うし、
そういう物を持っている人をいつも羨ましく思っていた。 

今の自分にとって打ち込める物は何か?
自分にとっての夢は何か?

どこか夢見がちで、どこか諦めの念が混じっている。

才能があったかは知らないが、かつての自分にも確かに打ち込める物
はあったかもしれない。だけど、今の僕には果たして脇目も触れず
打ち込める対象があるかと問われれば回答に窮してしまう。

損得勘定が先行したり、今は我慢の時とか言って好きな事に
一生懸命打ち込むことを放棄してやしないか、俺。

いつかやる。
いつか本気出す。
・・・そんな、自分を変えたい。

これじゃ、5年前の自分と本質的には何も変わっていない。

夢に一歩ずつ近づいているし、確かに頑張ってるとは思うけど、
それでいて大切な物から逃げている様な感覚も持っている。

”打ち込める物”、”夢”といったものを実現する為の技能に対して磨きを
掛けることはおざなりになっていたかもしれない。

○○○

ポジショニング、マーケティング、セルフブランディング。
そういう小手先で居場所作ろうとしていた感は否めない。

俺はこの道でやってくんだって物見つけて、それに打ち込んで才能磨いて
凄いもの生み出してきたいんじゃなかったっけか。

そりゃ生きてくためにセルフブランディングやマーケティングも必要だけど、
自分が生きてく道が見えてないのに、見せかけだけよくしてどーすんのって話。
もはや本末転倒どころの騒ぎではない。出来の悪い虎の張り子。 

とはいえ、仕事も家庭もあって責任というのもある。まずは目の前の生活を、
リアルの人生をしっかり生きなければいけない。

その中で、胸の内にあるギラギラした野望みたいなものを殺さずに、一心不乱に
技能を磨いて”作品”を創りだしていきたい。

簡単ではないと思うけど、僕がここ数年逃げ続けきた”大切なこと”にもう一度しっかり向き合わなければ、僕はきっと一生の後悔を残すことになる。

○○○

これまで繰り返してきた非凡と才能の狭間における嘆息

でも、それって本当に非凡な才能だったのかな?
その人が打ち込んで磨き続けた技能なんじゃないかな?

僕から見れば一様に凄い人達だけど、その人達から見るとやっぱりその人達の中で
「あいつは天才だ」という意見が出てくる。

せめて凄い人が言うところの”天才の違い”が分かる位まで努力してからじゃないと
「才能がないから」って言っちゃダメなんじゃないかって思う。

むしろ、努力もせず、他人が努力して磨いた技能を非凡な才能とすりかえて、
勝手に「俺には才能がないから無理」って凄く失礼なことなんだろうと思う。 

悩みは尽きないけれども、まず今は精進あるのみ。
前に進んで「あいつマジ天才だわ」と心の底から打ちのめされるその時まで、
僕はしばらく自分の平凡さを嘆くことを止めようと思う。

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