僕は生まれてから大学を卒業するまで22年間大阪の地で育ち、社会に出てから5年と少しを横浜の地で過ごしました。はじめの頃はバレーのコーチをやるために頻繁に大阪に帰っていたこともあり、そこまで大阪を「故郷」として遠くに感じたことはありませんでしたが、ここ最近は実家に帰ることがめっきり減ったので少し心理的な距離が遠のいたのかも知れません。
この土曜日に母親が大阪から出て、奥さんのご両親も交えて両家集まってのお食事会を行ったのですが、その中でお互いの家の昔話の様なものを聞いたことで、故郷というのものを強く思い起こされたのかも知れません。自分たちのルーツを知ることができたことはとても喜ばしく、また同時に自分が当然知っているであろう大切な思い出をその瞬間まですっかり忘れていたことにも気づかされ、とても悲しい気持ちになりました。
■確かに僕はそこにいた
今では遠い昔のように感じますが、僕は確かに大阪で生まれ育ち、多くの仲間と多くの思い出・・楽しいことも、痛いこともひっくるめて、本当にたくさんのものが彼の地には残されています。でも僕はそんなことをすっかり忘れてしまったかの様に日々生活しています。
母親の実家近くにある奈良・法隆寺にて。モデルはbeck。
でも、僕がそこにいたのは確かで、今でも実家は存在するし、友達もいっぱい大阪にいて、問えば僕の存在がそこにあったことを答えてくれるでしょう。でも、僕がそうであるように、僕に関する周囲の人の記憶も徐々に風化していくのだと思うとなんだか猛烈な恐怖感を覚えました。僕がそこにいたという事実が徐々に薄くなっていき、最終的にはそんな事実が無くなってしまうのではないか、と。
ご存じ通天閣。天王寺近辺から撮影。天王寺は青春の地(笑
■故郷と感じること
故郷という言葉をこれまで使ったことはありませんでした。あくまで大阪は「地元」であり、横浜は「住んでいる場所」でしかなかったのです。大阪を離れてから5年の月日が流れ、結婚し、何か心境の変化があったから、大阪のことを「故郷」と称すようになってしまったのかもしれません。
エキスポランド。事故を起こしてしまったけど・・・ここにも思い出はたくさん。
でも、今はその心境の変化もポジティブに捉えたいと思います。これは即ち、心が「風化させないように大阪での日々を想え」と訴えているのだと想います。
今想うと恥ずかしい限りの子供時代の自分を、吐くまで頑張った、吐いても頑張った部活の日々を、初めてPCを買った日の喜びを、ちょっぴり甘酸っぱい恋の思い出を、若気の至りを、傷つけ、傷つけられたことを、どんなに辛いときでも僕を助けてくれた友を、家族を・・・
それを郷愁に浸っているだけと揶揄されてもかまいません。僕にとって風化させたくない、無くしたくない多くの思い出を、僕は大切に一つ一つ思い起こして行きたいとおもいます。また、大阪に帰り、色々な土地にちりばめられている記憶の欠片を拾い集めても行きたいと思います。
和歌山は田辺の海岸。高校のバレー部仲間と遊びに行った楽しい思い出。
故郷とは、自分が生まれ育った場所であると同時に、自分の大切な思い出も含んだ概念だと感じています。故郷を大切にし、想いを馳せることは、巡り巡って自分の人生を豊かにすることにつながるのではないかと思います。(今地元に住んでいる方であれば、地元を大切にし、時には過ぎ去りし日々に想いを馳せてみてください)
#勿論、そういう想いをEvernoteなどに記録するとなお良しです(^^)
朝からジーンと来た。
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