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どうでも良いことに時間を使っている暇はないので道を探すのは止めて我が道を行くことにした話

以前、健康診断で要精密検査の判定を受けて大腸内視鏡を受けたことがあった。結果から言えば、癌などの重篤な問題は見つからず、非常に良好な結果であった。

健康診断の結果を受けて大腸内視鏡検査を受けるまでの約2週間、最悪の場合余命は長くないのかも知れないという恐怖と向き合うことになった。「どうせ大した事ないさ」と何度も自分に言い聞かせたが、もしかして・・という考えを払拭することは出来なかった。

今回は幸いにも大した話では無かったが、今まで散々身体に無理をさせ、心を痛め続けてきた自覚もあり、40を過ぎた身体に何らかの異常が出たとしても不思議ではないとも思う。明日、事故や災害で死ぬ可能性だってゼロではない。

どうでも良いことに時間を使っている暇はない

人生100年時代というのは、あくまで人類全体で見たときの平均寿命や健康寿命の話である。人生100年時代だから、40歳なんてまだ折り返し地点ですらない・・なんて思えるはずもない。

身体的な衰えは感じている。反射速度も十代のそれには遠く及ばない。知識と経験を積み重ね、総合力での能力は高まっているが、20代や30代の頃のように「伸びしろ(成長)」は見越せなくなった。

18年間の社会人経験の中で培った知識と経験、スキル、実績は大きな武器であるが、それだって未来永劫使えるわけではない。技術は常に新しいモノへと置き換えられ、いつかは衰えと共に自分は最前線でいられなくなる日もやってくる。

運動能力や体力は衰え、家族が出来、責任が増え、いつかやろうと思っていた事ができなくなっていった。いつかは日本を車中泊旅で一周するとか、世界のあちこちを飛び回ってみたいとか、そういう事もいずれできなくなる日が来るだろう。

時間が経つにつれて、両親は年老い、子供は成長を遂げた。子供が赤子であったころ、仕事が忙しいという理由で共に過ごす時間を削ってしまった。コロナで在宅が当たり前となり、うつ病による休職や業務量の調整があって子供と過ごす時間が増えたことは不幸中の幸いであった。

嘆いてもやり直すことは出来ないし、そうこうしている内に両親も、自分もどんどんと人生の終わりへと歩みを進めてしまい、子供は少しずつ着実に自分の手から離れていく。時間を止めることはできない以上、僕に出来ることは「後悔がないように、精一杯生きる」ことだけである。

それは言い換えると、僕にはどうでも良いことに使う時間などもう残されていないと言うことだ。自分がやりたい事があるなら、なるべく早くそれをやるべきだし、親孝行はどれだけしたってしすぎると言うことはなく、今しかない子供との時間をもっともっと大切にしていきたい。

四十にして道が見えない自分がもどかしい

孔子は四十にして惑ずとのたまい、四十を不惑と言うようになった。残念ながら、四十の僕は未だ自分の道が見えていない。

今だって仕事で精神がボロボロになり、2ヶ月以上も休職をしている状態であり、今後の人生なんて全く見通せていない。将来の展望や、人生計画など皆無で、今はただ心穏やかに自分の能力を活かした仕事ができればと願っている。

人によっては「生きる道」を見いだした人もいるだろう。自分の天職と出会ったり、目標に向けて脇目も振らず邁進している人もいるだろう。そういう人が羨ましくないかと言えば、羨ましい。しかし、僕が生きる僕の人生は、未だ道が定まらず、何なら少し脇にそれて小休止をしているのが実情である。

もどかしくもあるが、だからといって「こんな人生はクソ食らえだ」とも思わない。迷っている自分もまた自分で、道は見えておらずとも歩みを止めることができないのが人生なのだ。

道を探すのを止めて、我が道を行くことにする

思えば常に道を探し求めていた。きっとどこかに、自分が「これは!」と決めた仕事や活動があって、いつかはその道を邁進したいと願っていた。

勿論、僕には自分の専門分野があり、その専門家として悪くはない評価を貰っている。しかし、何か凄い賞を取るとか、歴史に名を刻むとか、そういう感じでもなく、先述の通り心が限界を迎えてしまい今は戦線離脱中である。

ブログを書いたり、YoutubeやPodcastで喋ったりもしているが、それも別に「凄い」ことでもなければ、食っていくこともままならない言わば趣味のようなのもである。

それでも、誇れる仕事が幾つかやり遂げることができ、両親は健在、家族は円満で、自分が発信した情報を数百人の方が受け取ってくれている。僕は凄い人や有名人ではないけれど、それだけが正しい道というわけではないだろう。

そんなわけで、僕は誰からも認められる何かをなし遂げることを目指すのを止め、誰からも尊敬され敬われるような聖人君主を目指すことを止めた。

僕は僕のやりたい事を大切にし、自分の経験と家族や友人の幸せを第一に考え、その為には他者から蔑まれるような行動や決断を行う事を厭わないことにした。

明日自分や家族に何かがあったとして、後悔をしないように日々を過ごすように心がけている。仕事は凄い事をなし遂げるよりも、心穏やかに自分の専門性を活かせる仕事をやる方法を模索している。例え大衆に響かなくても、僕の声が届く範囲の人々の役に立ちたいと想い、情報発信活動を行っている。

例え他者からは諦めや、出来ない言い訳に見えるとしてもそれでよい。それでも僕は誰かの指し示す正しい道では無く、自分の価値観に即した我が道を行きたいと思う。僕と僕の大切な人達のために、限られた時間を大切に我が道を歩んでゆきたい。

さいごに

キャンプに来てあれこれこれ考えたことを文章にまとめました。まだまだ考えや想いを形にする力に乏しいと自分でも思います。もっと考えて、もっと磨いて、自分の想いを形にして届けられるように頑張りたいと思います。

それが何か意味があることなのかは分かりませんし、自分がそうしたいと思う理由もよくは分からないのですが、今は何だか無性に想いや考えを形に現し、磨き上げ、届けられるようになりたいと切望して止まないのです。

であるならば、今はその為に時間と努力を捧げるのが、自分にとって正解なのだろうと思いますので、頑張って参ろうと思います。


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