最近とても仕事が楽しい
Brooklyn Home Office, Minimized, At Night / mkosut
最近、仕事が楽しくて仕方がない。
同時にちょっと忙しい感じなのだけど、それもまた心地よい。
まだ確たる成果が出たという段ではないが、かなりの手応えを感じている。今まで1年掛けてやってきた様々な活動が一気に花開いてきたので、ここまで中々芽が出ず忸怩たる想いを抱えてきた身としてはとても嬉しい。
仕事が楽しくて仕方がない状況というのは、そうそうあるモノではない。自分がやりたいことをやらせてもらえて、かつそこに手応えが伴う状態。”次にあの手を打って裏でこっそりあの手を打てば物事がすすーっと流れていくであろう”という見通しは少し前までは漠然としか見えなかったのだけど、今はそれなりにはっきりと見えている。
先が見えずもがいていた状態から突破口を見つけ出し、一気に物事が動き出す感覚はシステム提案や企画系の仕事の実に面白いところだろう。
社畜という言葉が嫌い
僕が最も嫌いな言葉のひとつは「社畜」だ。
何故かよく分からないけど、世の中には会社に勤める人間のことを会社に変われている「社畜」と表現されることがある。本当に、心の底から残念なことだと思う。会社で働くことがイコール会社に隷属し、いいなりになって言われたことだけこなすのだと思っているのだとしたら大きな見誤りがある。
僕は会社でかなり自由に仕事をしているし、フリーになっても業務請負でほぼ会社で働いている人もいる。会社で働くから不自由なのではないし、フリーランスだから自由というわけではないのだ。それは働き方の差であって、自由かどうかは僕らがどう仕事に向き合うか一つで如何様にでもなると思っている。
そもそも、260万社もある会社法人で働く人をひとくくりに不自由というのも乱暴だし、何百万人といるフリーランスで仕事をしている人を自由というのも乱暴なのではないかと思う。
僕は会社というのはリソースと信頼を働き手に与えてくれる便利な道具であると思っている。会社という仕組みがなければ社会インフラを構築したり、世の中の仕組みに大きな変革を起こす様な仕事をすることは非常に難しいとも思っている。
僕が今やりたいと思っていることを実現するためには会社という道具を使うことが一等速いと思っている。僕の様な若造が創造性と情熱しか持ち合わせて居なかったとしても、それを実現するための手段(リソース)を会社が貸してくれもするし、他のステークホルダーを巻き込む際にも大いに会社の名前が役に立つ。
万人がそう、全ての会社がそうだと言いたいわけではない。だけれども、僕が働き方としてチョイスしている会社組織に属するということを「社畜」と称されるのだけはどうにも納得がいかない。その社畜が創り上げ、運用している社会システムの上で生活をしているという自覚がある上で、彼らは我々のことを社畜と呼んでいるのだろうか?