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【雑記】夏の終わり/全力を尽くすと言うこと

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RIMG1121 / honobon

ジムでランニングをしていると、テレビ神奈川が夏のセンバツの神奈川大会を放映していた。1回戦から流せるのは、地方局ならではのつよみだろう。

僕は大阪生まれなので、神奈川県にひいきの高校があるわけではない。しかしながら、高校球児のひたむきな姿に目が釘付けになり目が離せなかった。

1点ビハインドの場面で一死満塁のチャンスで併殺打に終わった子は、次の守備で悔しさのあまり泣いていた。その心境を思いやるや、胸が締め付けられる。しかし、同時にきっとこの子はこの経験をバネにすごく成長できるのだろうとも思った。

1点差の9回裏、ピッチャーは一人を討ち取った後、二人をフォアボールで歩かせた。その後、送りバンドで2死2,3塁の場面で、先ほど併殺に倒れた子が最後のバッターとしてバッターボックスに立った。1点差をここまで守り切ったピッチャーにはこのまま勝たせてあげたかったし、先ほど併殺打に倒れた子にここで一矢報いて欲しいとも思った。

どっちも頑張れ。

夏の甲子園は、基本的に関西勢を応援するのだけど、そういう贔屓を抜きにしてみられる県大会ならではの想いだろう。最後のバッターが凡打に倒れた時、笑顔と涙が交錯し、片方の夏が終わった。

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他の季節には「終わり」という表現はあまり使われないが、夏には明確に「夏の終わり」という表現が存在する。

甲子園球児だけでなく、井上陽水の「少年時代」やZONEの「secret base~君がくれたもの~」に表現されるような、はかない夢の様で、ノスタルジックさを帯びた甘酸っぱい情景として、夏の終わりは表現される。

それは学生にとっての夏休みの終わりや、夏の帰省時期だけ会える旧友との有限の時間、夏祭りや花火大会というこの時期特有のイベントに括りつく思い出なのかも知れない。

僕にも、中学生や高校生時代に部活に明け暮れた夏休みの思い出や、コーチとして教え子と共に汗を流した夏の思い出なんかがある。高校3年生の時に自分が脚本を書いた劇の練習をしたというのも結構思い出深い。

でも、不思議と社会人になってからの夏の思い出が少ないことに気がつく。会社の同期と遊びに行った那須塩原や軽井沢でのBBQや花火なんかは確かに良い思い出ではあるのだけど、でも学生時代のソレとは少し趣が違う。

一つの仮説として「何かに全力を尽くした」という経験が伴っているかどうかが「夏の想い出」の質に大きく影響しているということが考えられる。ただ楽しかったことよりも、頑張って勝ち取ったものの方がやはり印象深い。

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何かに全力を尽くす経験というのは、実際の所人生の中でそうそう経験できる物ではない。また、大人になればなるほど、その経験を得るチャンスがどんどんと減っていく。

バリバリ仕事をこなして営業成績を上げたり、休みの過ごし方に色々工夫を凝らして家族との時間を大切にしたりと、皆頑張っていることは間違いない。でも、どこか「3年生は今年の夏が最後だから」的ながむしゃら感や、全力を出し切って全てが終わった後の達成感と虚無感の入り交じるあの状態になることはそうそう無い。

人生は長いんだから、燃え尽きないようにボチボチやってくことも必要だと思う。他の何もかもを投げ打って、一つのことに集中することが難しいというのもあるだろう。大人になってちょっとクールになったというのもあるだろう。

それでも、僕はどこかでもう一度あの「全力を尽くす」感覚を味わいたいと思っているし、そういう経験を沢山積み重ねていけば人生楽しいだろうなとも思う。経験則でしか無いけど、今2倍頑張れば、その頃の思い出は10倍素晴らしいものに変えることができる。全力で取り組めば、だいたいのことは一夏でそれなりの成果を挙げる。

僕はあまり精神論は好まないけど、でもやっぱり「俺、スゲー頑張った」と思える経験は人に自信を与えるだろうし、それまでの人生を幸せだったと思える一因になるんだから、「全力を尽くす」ことは大事だと思う。

そんなわけで、僕は青臭いとか、暑苦しいと言われても、今自分がやるべきことに対して全力を尽くしていきたいし、悔し涙も、達成したときのガッツポーズも思いっきり表現していきたい。

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