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One story,another story

東京に出てきて7年と少しの時間がすぎた。

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生まれ育った故郷大阪を離れシステム屋になると決めたのが8年ほど前。地元の会社に就職することも出来たけど、何か運命のようなものを感じて、第一志望であった今の会社の内定を受けることにした。その決断の1年前、教師になってバレーボールの指導者を目指したいという想いを断ち切り、IT業界に入りたいという子供の頃からの夢を選んだ。

システム屋になるという選択も、東京に出るという選択も、その時々悩んで自分で選び取った。何度も挫折を経験することになったが、血が沸き立つような成功体験も得た。ブログで多くのモノを得たし、本を書く好機にも恵まれた。何よりも、掛け替えのない友人達と出会い、一緒に真剣な話も馬鹿騒ぎもできる仲間もでき、結婚という人生の一大イベントも経験した。

多少の成り行き、自分自身で「無理だ」と思い込んでいたところもあるかもしれないが、その時々で最善の選択を自分で下してこれたと思う。楽しい事、良いことばかりではなかったけど、これまでの人生に後悔はしていない。

それでも故郷の土を踏み、思い出の欠片を拾い集め、かつて苦楽を共にした仲間と酒を酌み交わす中で感じた”郷愁”と青臭くも熱い”想い”の中で、改めて自分の生き方について考えずにはいられなかった。

 ■変わらない町並み

竹蔵オフのオール明け、夜が明けて空が白みかけていた須磨海岸を眺めていた。大学生の頃、よく垂水や明石、加古川の友達と遊んでいたので、須磨海岸沿いを走る国道二号線なんかはよく車で走りまわっていた。

大学に入ったばかりの頃のことなので、失恋してカラオケで叫び散らした話やら、はじまらなかった恋の話やら、ほんのり甘酸っぱい思い出はこの土地にも沢山転がっている。ガガガSPというパンクバンドのファンだった友達と国道二号線のラーメンを食べに行って、男二人で六甲山に夜景を見に行って夜通し将来の夢やら恋の話なんかに花を咲かせていたことも良い思い出だ。

何かやりたいという想いばかりが強くて、結局どうしていいかわからなかったあの頃。色んな事が上手くいかなくて、いつもやり場のないエネルギーを夜通し騒ぎ通すことで発散していた。

その後、母校に向かう道すがらかつて自分が毎日利用していた近鉄南大阪線に乗ると妙に気分が落ち着いた。年に1回乗るか乗らないかという路線ではあるけど、やはり十数年間利用していた記憶はそうそうなくなるものではない、ということだろうか。

南河内は大阪でも相当外れに位置するので、一言で言えば”何もない”。だから、町並みは大きくは変わらない。栄えていないのだから、そもそも衰退を感じることも殆どない。30分ほどの移動時間の間、変わらない町並みを眺めながら、一駅一駅思い出の欠片を拾っていく。河内松原は今でも胸が締め付けられる場所だし、小学校三年生まで住んでいた高鷲・藤井寺はやはり特別な場所なのだ。

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変わらない富田林西口の駅を見て、僕はなんだか嬉しくなった。

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■もしも違う人生を生きていたとしたら

もしも、という言葉を使うとすると、僕は2つのもしもを真っ先に思い浮かべる。

一つは、かつて結婚まで考えていた大好きだった彼女のこと。自尊心ばかり強くて、浅はかで思いやりに欠けていた僕は彼女を傷つけ、二人の関係に終焉を迎えさせてしまった。タイムマシンがあるなら、あの頃に戻って自分の顔をぶん殴ってやりたい。

もしもあの時・・と何度も何度も頭の中で考えはしたし、今なお胸が締め付けられる程に大切な存在だった。今どうしているかは全く分からないけど、ただ彼女の幸せを祈らずにはいられない。

もう一つは、僕が恐らく人生の中で最も心血を注いだバレーの指導のこと。一度は本気で教職を目指そうと思ったし、コーチ在任中は他校の先生方からも教員になり本格的にバレーの指導の道へ進むことを強く薦められていた。

もしもあの時、僕が教師になり、バレーボールの指導者としてやっていく決断をしていれば、僕の人生は今とは全く違うモノになっていたのだろうと思う。一つだけ言えることは、その道を選んでいたとしても、僕には後悔がなかっただろうということだ。

今でも母校の体育館に入れば2つの記憶が想起される。

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高校時代、ここで毎日毎日休むことなくバレーやトレーニングに励んでいた。練習の後、彼女と一緒に下校して色々な所で道草をくっていた。この場所とこの街は、何もないけど、思い出だけは沢山ある。

そして、大学4年〜社会人2年目までの間、大阪にいる間は毎日の様に練習を見に来ていたし、東京に出てからは2週間に1回のペースで通っていた。当時現状分析を行い練習メニューを考えていたノートと、教え子達がくれた手紙は、今でも僕の宝物として大切に保管している。

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たらればの話をしたからといって人生は変わらないけれど、これからの人生を切り拓くに当たって、自分がこれまで手に入れられなかったものや、諦めたことについて認識しておくのは悪くないアイデアだと思う。今の僕のストーリーは、もう一方の道を選んだ僕自身に常に誇れる物でありたいと願っている。

■人生はどれも「特別」

僕は自分の人生が「普通」であると言うつもりはこれっぽっちもない。

甘酸っぱい思い出も、沢山の失敗も、頑張って成し遂げたこともあるし、今も夢に向かってひた走っている。実に充実した人生だと思う。

でも、何より嬉しいのは店に入るやいなや「ベックーー!」と僕の名前を呼んで笑って迎え入れてくれる仲間がいることであり、久しぶりにOB会であった教え子が「北さん!」と僕を見つけて声を掛けてくれて、近くに寄ってきては「北さん最近ふとったんちゃいます?」と軽口を叩いてくれることなのだ。久しぶりに会ったバレー部同期と飲むと、近況を話し合った次の瞬間には居酒屋の店員さんの誰それさんがカワイイだなんだという話になってしまうのもまた凄くいい。

良い意味でも悪い意味でも自分の事を色眼鏡で見ない、素の自分を認めてくれて一緒に騒いでくれる仲間がいるというのは本当に幸せなのだ。そして、そういう人達とこれまで沢山の思い出を作ってこれことに感謝し、これからも作っていけるという期待に胸を膨らませずにはいられない。

「なんや、普通やないか」

そう思って貰うのは結構。僕はこれを素晴らしいと感じ「特別」と思っているだけの話だ。
どちらが良いかは各自の判断に委ねたい。

■一歩ずつでも前に進めれば「選択肢」は増えていく

残念ながら僕は生まれもっての天才ではないので、自分の夢を実現するために何をすべきかなんて皆目検討もつかないし、今なお自分の生き方に迷いを持っている。

しかし、今の僕は大学時代の僕に比べて確実に「選択肢」が増えているという実感もある。これまでの経験や、今まで積み重ねて来た努力の結果、かつての僕がどうすればいいか分からず途方に暮れていた事柄を解決する手段、更に先に進んでいくための見通しを今ならつけることができる。

どんなに歩みが遅くても、自分が進みたい方向へと歩を進めていき続けるかぎり、何をすべきかが段々と分かってくる。だから、今現在どうすれば良いか分からないからといってその夢や目標を諦める必要はまったくない。今はただ一歩ずつ、着実に進めば良いのだ。

もしもこの先どうすれば良いか分からず不安になることがあれば、自分の人生を少し振り返ってみるといいと思う。かつて今より更にどうしていいか分からない状態で苦闘していた自分の足跡を辿り、その中で自分がどんな想いでどんな決断を下したかを知ることができると思う。その中で、当時の自分が出し得なかった「選択肢」を今の自分が持っていると気づけたのなら、その何よりも確実な成長の証と呼べるのではないだろうか。

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たぁぼぉキャッチャー Vol.28 | たぁぼぉ録

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