以前どこかの本だかツイートだけで見かけた「本を読んだら行動しないと意味が無い」がどうもしっくりこなかった。
その引っかかりの原因を考えてみると、読書→行動の間には結構やるべき事があるはずで、その工程をダイナミックに省略してドラマティックに断言している点にあると思い至る。これ結構大変な事だと思うんだけど、断言している人は「本当にこれをやっているのだろうか」と不信感を覚えてしまうのだ。
勿論、主張としては分かる。本を読んでも「楽しかった、勉強になった」だけで終わらせてしまうのは確かに勿体ない。例えば、タスクリストに落とし込んで、日々の行動に確実に組み込んでいく習慣化のステップが提示されていたなら引っかかりを覚えることもなかったかもしれない。
僕は正しくは読書の先に来るのは「行動する」ではなく「行動を組み替える」または「習慣を変える」という表現であると思っている。その上で、「行動が変えられないからといって焦る必要は無い、それはとても難しいことなのだから」と付け加えると思う。
勿論、本にも色々な種類がある。ハウツー本やマニュアルティックに手順が書かれているモノもある。エビデンスベースの統計的に正しい何かを伝える本もあれば、俺の成功事例を語っている場合もある。
どの本からも何かしら学ぶ事はあるのだと思うけど、それが行動ではなく知識の獲得や知的好奇心の充足、或いはただの楽しみの為に本を読む場合もあるだろう。まぁ、先の主張はある特定の「読書の目的」にフォーカスをしているであろうから、この点を掘り下げることはやめておこう。
本を読むと行動に移すの間にある断絶
『本を読んで即行動』や『本を読んでも行動に移さなければ意味が無い』という主張自体は、先にも述べたとおり理解できなくはない。「楽しかった、勉強になった」で終わってしまうことは勿体ないので、何かしら読書を活かせた方が良いのは間違いない。
本に書かれている内容を理解し、知識として「活かせる」状態になれば、自分の日々の行動や刺激(ストレス、出来事、誰かからの言動など)に対する反応を変えたり、仕事の成果に活かしたり、知的生産活動の素材として用いたりもできる。
問題は、読書と行動の間にある断絶を無視して「断定口調」で心理のごとく「読書→行動」を説いていることである。こちとら十数年本を読みつつ社会人をやってきているけど、読書に限らずインプットした情報/知識を自分の行動やアウトプットに活かすことに悪戦苦闘している。
本から得た知識を活かすためには色々なアイデアがある。例えば、程度の差こそあれ、行動に組み込む/知識として活用する為には以下の様な対応策をとる必要がある。
- 本に書かれている内容を理解するために線を引いたり、読み返したり、読書メモを取ったり、アウトプットする中で理解を深めたりする
- 自分の知識と組み合わせる為に、PKM(Personal Knowledge Management)ツールであるObsidianに本から得た知識をAtomicな形に分解し、自分の言葉に変換、知識体系の再構築や関連する事象のくくりつけを行う
- 自分の行動に組み込むために、タスクリストや習慣化リストに変更を加える。新しい習慣として組み込む場合は、一日の中で使える時間を作り(つまり、何かをやめる)、実行のタイミングも確定させて置く方が良いだろう。
残念ながら、人の脳というのは本の詳細などすぐに忘れてしまう。三日前の自分の行動がうろ覚えだったり、昨日はおろか3時間前に自分が考えていたことを忘れることすら「普通のこと」なのである。
だからこそ、思い出したいことはメモ(備忘録)に残すし、行動を変えたいなら、具体的にいつ、どこで、どうやってそれをやるかまでタスクリストに書き出しておく必要があるのだ。
タスク管理をしたって割り込みや先送りが発生するし、新しい習慣を組み込むためには、既に染みついている元からそこにあった習慣を止める必要がある。
行動を上手く組み替えられなからと言って気に病む必要は無い。それが難しいことは、何十年も前から言われていることだし、本を読んで活かそうという試みを繰り返すことにこそ、僕は価値があると思っている。
断言口調で言われていることを鵜呑みにする危険性
僕はよく「キラキラツヨツヨ」と表現するのだけど、TiwtterやYoutubeの世界には、取り入れようとするとなかなかに困難なことを断定口調で話す人たちがいる。
言い切ってて、なんだか説得力あるっぽく見えるのだけど、本当にそこに書いてあることをやったのだろうか?とつい穿った見方をしたくなってしまう。
仮説としては、そういった人たちはとてつもなく超人的な理解力と記憶力と意志力を兼ね備えた天才で、本を読んだことはすぐに理解し、自分の行動の隅々まで完全に意思の配下において、即座に行動を入れ替えることが可能なのかも知れない。
もう少し好意的な見方をすれば、恐らくその箇条書きと断定口調の裏には並々ならぬ努力と工夫があり、日々の思考と失敗を乗り越えながら改善を行っており、その最終成果のみを文字数(140文字)の関係で述べておられるのであろうと思う。
きっとそこに悪意はないだろうし、実際その箇条書きと断定口調で述べられている事は主張としておかしいことだとは思わない(同意できる/できないはさておき)。
この文章は、別段キラキラツヨツヨな人たちを糾弾するために書いている訳では無く、それを読んでしんどくなる人がいたら「自分がやれないからって気に病む必要はない」というメッセージを伝えたくて書いている。
もしも、140文字のツイートや15分のYoutubeで人生が劇的に変えられるとか言ってる輩がいるなら、それは少し敬遠した方が良いかもしれない。人の記憶も意思も行動も、先に述べたとおり実にままならない。
本でもブログでもYouTubeでもTwitterでも、よいなと思った事は取り入れようと試行錯誤をすれば良いと思う。ただし、それを取り入れるためには、何かを止める必要があるだろうし、続けられるようになるまでは何度か失敗をすることもあるだろう。
何かに刺激を受けて行動を変えるときに大事なことは「そういうもんだと思う」ことであり、「できないからと言って気に病まない」ことである。それに取り組もうとしている時点であなたは素晴らしいし、試行錯誤の先に見つける落とし所こそが正解である。
繰り返し述べるが、人の記憶も意思も行動も、実にままならない。これらがままなるのであれば、それはもう超人の域である。
最後に
先にも書いたとおり、本記事は特定の誰かや発言を糾弾する物ではなく、僕が感じた違和感や、それによって辛くなる人に対して「大丈夫やで」と伝えるために書きました。
少なくとも僕は、本を読み、理解するため、自分の人生に取り組むために七転八倒、試行錯誤と多くの失敗を繰り返してきたし、どなたかの最強のやり方をそのまま取り入れるのを断念し、良い塩梅の落とし所を見つけて今までやってきました。
もしも、読書をしても全然行動に移せてないから意味が無いと悩んでいる方や、誰かの言う”QOL爆上げの人生が劇的に変わるライフハックの140文字の箇条書き”すら満足に実行できないと悩んでいる方が少しでも楽な気持ちになってくれたなら幸いです。
ぜひぜひ一緒に、ちょっとずつ試行錯誤と改善を繰り返していきましょう。本を読んで活かそうという試みを繰り返し続ける限り、少しずつ行動や思考が変わり続けていきますので。
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