息子ちゃんが我が家にやってきてから、生活が一変しました。
これは時間・空間的な変化と言うよりも、自分の人生に於いて大切なものが何かという根源的な価値観そのものが大きく変わってしまうという表現が一番しっくりきます。
勉強会等の休日の活動の数々は一切休止し、週末は家で家事育児にいそしむ毎日を送っています。ブロガーの集い的なのにもとんと顔を出さなくなりましたし、ブログの更新頻度も落ちてしまいました。
■毎日は忙しく過ぎるが、同じ時が繰り返すわけではない
生まれた時には、今にも消えてしまいそうな儚さをまとっていた息子ちゃんも、今や立派なワンパク坊主へと成長を遂げました。
今日も元気にハイハイで駆け回っては、つかまり立ちをして棚から絵本やおもちゃをぼんぼんと投げ落とし、恐らく彼なりの言葉を力一杯叫んでいます。
日々、陥落していく高台、拡がるテリトリー、強まる腕力。日々の成長が嬉しくもあり、日々変わりゆく姿に時間の流れの不可逆性を感じずにはいられません。
今という時間は二度とは戻らない。
今のこの子と過ごせる時は二度とは来ない。
そう思えば、今という時間を大切にしたいと思うし、自然物事の優先度も決まってくると言うものです。
僕にとって最優先すべきは家族であり、家族と過ごす時間なのだと何の躊躇も無く言えるというのは、とても幸せなことなのだと思います。
■「自分の時間」はなくなったが、僕は「自由」を得た
この九ヶ月を端的な言葉で表せば「子供中心の生活」 です。
奥さんの負荷を下げるためになるだけ家事育児を引き受けようとするのですが、仕事も忙しくなってしまい、平日は朝以外は家事育児ができないという体たらくだったわけですが。
そういうわけで、土日は平日の罪滅ぼし・・というよりも、奥さんをちょっと休ませてあげるためにも家事育児にいそしんでいました。恐らく休日出勤以外で家を空けることは片手で数えるほどしかなかった様に思います。
平日夜は終電で帰ってきてそのまま倒れ込むように寝て、朝は息子ちゃんにたたき起こされつつ遊んだりご飯を上げたりして出勤。
休日朝はいつも通りの時間に起こされて、午前中に食事洗濯掃除を終わらせ、家族で出かけたり家で息子ちゃんと遊んだり。平日は作れない分、土日は基本僕がご飯を作るのと、息子ちゃんのお風呂も僕の役目です。(奥さんが寝かしつけてる間に僕がご飯を作るのが効率的なだけですが。)
「自分の時間」と言えば、奥さんと息子ちゃんが寝た23時以降。次の日6時位にたたき起こされるので、なるだけ1時までには寝たいというか、力尽きて1時前には就寝することが殆どです。
確かに子供が産まれてから「自分の時間」は激減しましたし、勿論奥さんも同じ状況です。
でも、不思議と「不自由」だとは感じません。むしろ「すげー自由だな」と思うわけです。
家族が笑顔で生活するために必要なことをやるために、時間的余裕がないものは切り捨てるしかない状況ですから、僕は必然的に価値観に沿った生き方をせざるを得ないわけです。
仕事と家庭でいっぱいいっぱいなので、これまで色んな事をやってきた身としては、正直「俺、このままでホンマええんかな?」と不安になることもあるんですけどね。
でも、一個だけ明確なのは「ブロガー」よりも「父親&夫」というペルソナの方が優先度が圧倒的に高いってこと。
今自分が責任を持ってる仕事にしっかり取り組んで、家族との時間を大事にして、それで残った時間でブロガーをやるってのが今の優先度なわけです。
色んな意味で死ぬほど充実しまくりな仕事と、毎日大変やけど笑顔だらけの家族がいて、それなりに思い描いた通りの生活がデキてるってのは、正直これはめっちゃ幸せなんちゃうかなって思うわけです。
欲を言えばやりたい事は一杯あるけど、少なくとも僕はそれなりに息子ちゃんの成長は見守れていて、家族で過ごす「今」という時間をすごく大事にできてるから、やっぱりめっちゃ自由なんちゃうかなと。
■さぁ、次は一緒にどこへ行こう
最近は土日の天気がすごく気になります。
今度の晴れた日曜日はどこへ行こうかな?
そんな妄想を活力に、仕事に精を出す人生ってのもなかなかに乙なもんです。