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1ヶ月半の休職期間から復帰して1.5ヶ月ほど経ったので色々振り返ってまとめておきますー後編

前回の記事を書いてから1ヶ月弱空いてしまいました。タイトルも「復帰から2ヶ月ちょっと」とすべきところですが、まぁ、誰もそんな細かいことは気にしないと思うのでこのまま行きましょう。

1ヶ月半の休職期間から復帰して1ヶ月半ほど経ったの少し振り返っておきますー前編

前編は暗い話題ばかりだったので、後編は良かった点など諸々明るい話題も書いていきたいと思います。

休職〜復職後2ヶ月の間で感じた良かったこと

休職期間中あるいは復職後の残業制限期間なども含めて良かったなと思うことを書いておきます。

  • 家族、とりわけ子供と過ごす時間が増えた
  • 休職期間中ほぼ毎日子供の保育園送迎ができた
  • 子供を送った後、毎日の散歩の中でゆっくり自分の今までとこれからを考えることができた
  • 休職期間中はかなり家事をやれたし、毎日子供を寝かしつけて、子供と一緒に沢山寝ることができた
  • いつかやろうと放置し続けたメモやアウトプットのシステムを再構築することができた
  • Blog、Podcast、Youtubeなど色々やりたいと思っていた趣味的活動を沢山やれた
  • 運動が習慣づいた(復職後2ヶ月たった今もジムには行っている)
  • 自分のキャリアや評価に対する執着が消えた

以前は夜子供が起きてる時間に帰宅するのが難しく、家族揃って夕飯を食べる事もかなり稀でした。

子供を迎えに行き、夕食を作り、家族で食事をして、子供と風呂に入り、寝かしつけをして一緒に寝るという毎日。休職中にこんな毎日を送れたことは、ある種のGiftであったように思います。(復職後も家族と過ごす時間は以前よりも断然多くなりました)

もしも、休職する状況にならなかったら。僕は死ぬときに後悔する最も典型的な「なんで仕事ばかりして家族との時間を持たなかったんだろう」という想いを抱くことになっていたと思います。

白旗を揚げた先に見えた世界

正直に言えば、自分が「もうこれ以上は進めない」と白旗をあげることは、とても怖かったです。病院に通いながら「まだいける、まだやれる」と休むこと/薬を飲むことに抵抗していた背景に、キャリアや評価への執着があったことは間違いないです。

そのキャリアや評価なんて言うのは、ある意味僕が作り上げた幻想でしかなく、そんなもののために精神的に追い詰められても尚自分を大切にできないなんて、本当に馬鹿げていると今なら思います。

でも、あのときの僕はその執着を手放せませんでした。想像上の「完璧な自分という世界線」ばかりを見て、それが失われることを恐れて、心と身体に無理を押しつけ続けていたのです。

休職後1週間は後悔の念を抱いていましたが、本調子とは言えない自分と向き合う中で、心と体に耳を傾け、「今の自分ができること」に目を向けることができるようになって行きました。

実のところ、まだまだ「今の自分が出来ること」に目を向けることは、あまり得意ではありません。今でも「完璧な自分がいる世界線」と現実を比べては、なんて自分はダメなんだという想いに囚われることが多いです。

とりあえず今は、「他人の評価」のために身も心も犠牲にするような働き方、生き方はもうしないと考えられるようになっただけで、良しとしておきたいと思います。

復職後感じた「人のやさしさ」と「甘えることのたいせつさ」

休職に入る際に「自分はなんて役立たずで無力なんだ」と打ちひしがれていましたし、復職後に自分の居場所があるのかとても不安でした。

復職3日前ぐらいから胃が痛くなり、毎日不安で押しつぶされそうになっては何も手に着かなくなっていました。自分は本当にやっていけるのか、またダメになるんじゃないか・・そんな悪い考えが頭の中でぐるぐると回っていました。

蓋を開けてみれば、同僚は皆僕を温かく迎え入れてくれて、僕を必要としてくれる人もいて、今の自分が貢献できることも無事見つけることが出来ました。

心配事、不安の96%は起こらないという有名な話がありますが、幸いにして4%の確率で発生する最悪の事態は起こりませんでした。

たまに心ないことを言う人も居なかったわけではないんですが、大多数の人は心配してくれていて、復帰を喜んでくれていて、僕がまた無理をしようとすると「もっと周りに甘えろ」と引き留めてくれました。僕の運が良かったのかも知れませんが、世界は僕が思っていた以上に優しい場所でした。

仕事にのめり込みすぎないように自分の聖域を持つ

佐々木正悟さんとの対談動画をご覧頂いた方であればすっと通ると思いますが、僕が辛くなった最大の理由は「仕事というゲームにのめり込みすぎた」ことにあります。

そこで自分が思い描くように活躍できること、他人からの評価にあまりにも自分の存在意義を重ねてしまっていたがために、うまくいかなくなった時に必要以上に思い悩むことになってしまいました。

「自分はこんなもんじゃない、もっとできるんだ」そういう想いにとらわれすぎて、クラッチがかみ合っていない状態で全力でエンジンを吹かし続けてしまい、最後にすり切れてしまいました。

仕事というリングから退場する事態となってはじめて、自分がゲームの中にいたことに気付きました。なぜ僕は、あれ程までに評価を気にしていたのだろうか、ボロボロになってまで自分が守ろうとしていたものは何だったのだろう。

でも、ゲームの最中にいるときには、自分がゲームの中にいて、自分が気にしていること(ゲームにおけるスコア、僕の場合は他人の評価)に囚われていることには気づけないもんなんです。というか、気づけてるんだったらしんどくならんのです。

これに対する対策は一つ「生活の中に自分の聖域を持つ」だと思います。もう少し簡単に言えば、仕事というゲームから出られる場所を生活の中に用意するということです。

人生全体から見れば仕事は数あるゲームのうちの一つでしかないにも関わらず、仕事にのめりこみ過ぎるというのは、人生と仕事が限りなく等しい関係になりつつあるという事です。

仕事というゲームは非常に強力です。評価があり、報酬があり、生きがいともなりうる、よく出来たゲームなのです。それを抜け出して「なんでこんなに熱くなってるんだ」と客観視するためには、自分の人生にとって、”何人にも犯されたくない聖域”と呼べる場所が必要です。

3月頃までの自分にとって、40分程度の散歩がその時間でした。Apple MusicのToday’s Chillステーションを聞きながら、子供の保育園から自宅まで川沿いの道を歩きながら、あれこれ考えを巡らせる時間が、この上なく重要でした。(4月以降、それに代わる何かを模索中)

かつては家族との時間の中でさえ、仕事のチャットやメールから気をそらせなかった自分が、家族と過ごす夕食以降の時間と休日に仕事のことを忘れられるようになったのは、家族との時間を聖域とすることに成功したのだと思います。

そして、ブログや日記を書くのも、仕事というゲームから離れて、自分の人生全体に視点を引き上げるために必要な時間であると考えています。

最後に

自分の心身を壊してしまうほどに仕事にのめり込み、働き過ぎ、すり切れてしまったことは、決して誰にとっても幸せな事ではないと思います。これを自分の人生にとって必要なことだったと美談にするつもりもありません。

もしも僕が違った見方や価値観を持っていたなら、もしも仕事の環境がもう少しコントローラブルであったなら、もしもコロナがなかったら・・色々なもしが重なって今の結果となったわけです。

誰も皆、幸せになりたいと願っていると思います。僕だってそうです。だけれども、うまくいかない、思っている方向とは全然違う結果となってしまうことなんて、容易に起こりえます。

今回の出来事は決して成功の類いではないでしょう。とはいえ、僕に出来ることはといえば、今回の経験から学び、今の自分ができることに注力し、自分と家族が幸せに生きるために、これからも真剣に生きていくことだけです。

もしも、僕が失敗したこと、或いは今回の件で獲得したモノの見方が、誰かのしんどい状況を変えるきっかけになればと良いなと思います。また、僕自身がまた同じ轍を踏もうとしたときに、この文章がそれを食い止めてくれる事も期待しています。

それでは、長文にお付き合い頂きありがとうございました!

前編もあります
1ヶ月半の休職期間から復帰して1ヶ月半ほど経ったの少し振り返っておきますー前編

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