今よりもう少し血気盛んだったころ、他者との実力の差を見せつけられたときにいつもこう思っていた。
今はまだまだやけど、いつかあのレベルに到達してやる!
そして時が流れ、何も変わらない自分を顧みて気づく。
「いつか」なんて、いつまで経ってもやってこないということに。
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努力は素晴らしい事だと思う。
でも、ただ何となくがむしゃらに頑張るというのはあまり意味が無い。
努力を重ねれば才能の有無にかかわらず人はある程度のレベルに到達することができる。それは真理だろう。しかし、その努力を行うにしても時間がかかるので、人は何でも身に付けることなどできないということも忘れてはならない真理なのだ。
自分が目指す方向がある程度見定められていたとしても、
多くの場合僕らは欲張りすぎてしまう。
ブログを書いて、本を書いて、英語と経営学とプログラミングの勉強して、アプリやWebサービスも作って、ジムに通ってランニングもして、仕事と家庭を両立したいし、時間があれば勉強会やイベントも主催したい。ここ3年の僕はいつもこんな調子だった。
この中で締切がないものや差し迫って苦労していないモノはどんどんと”やらない”ままに捨て置かれた。その中には緊急ではないが重要なモノ・・いや、むしろ自分が本当にやりたかったことが含まれていた。
その間、僕は「いつかはこれらも出来るだろう」と真剣に考えていた。
しかし、3年という月日が流れ、僕はハタと気づいてしまった。
確かに成長はしたし、多くの成果も挙げることはできた。
しかし、本当にやりたかったことは何一つ前には進んでいなかった。
自分にとって必要と思われるスキルセットの内、半分程度は身に付けることが
できたのだけど、もう半分はすごく中途半端な状態となった。
要は「選択と集中」の問題であり、優先度をつけてより重要なものから取りかかれば良い。しかし、あれもこれも重要だと思えるだろうし、環境がそれを許さない場合もある。ことはそれ程複雑ではないが、決して簡単なことだと思わない方が良い。
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ここまで来ると「自分のやりたいこと、やるべきことに集中せよ!」と言いたいのだろうと勘ぐられるかも知れないが、僕はそれが正解だとも思っていない。
時には「流れに身を任せること」もとても大切なのだ。
絶対的に揺るがないことは全ての人は自分の人生を「はじめて」歩んでいるということだ。僕らは人生の初級者であり、どうすればいいかという絶対的な答えを自分の中から見つけ出すことはそう容易いことではない。
仕事でも、友人達との交わりの中ででも、僕らは多くのことを学ぶことができる。その中には嫌なこと、辛い事もあれば、自分がやりたいと思っていることとは全く違う役務を割り当てられることもある。どんな時でも、その中で最良の選択と努力を行うように努めるべきなのだ。
どこに身を置くか、自由になる時間をどう使うかについては自分の思うとおりにやればいいと思う。しかし、例えどんな選択の結果であれ、今目の前にある事柄から逃げるという選択は最後の最後まで選ばない方が良いだろう。もう少しかみ砕いて言えば「嫌だから辞める」は止めた方がいいということだ。
「枠にはまった人生から抜け出したい」という思いは悪くはないが、そう思うならより一層「決まり切った人生などない」と考えるべきだろう。どんな変遷をたどり「ゴール」に至るかはわからないけど、そのバリエーション分だけ多様な才能が生まれることにきっとワクワクすることができる。
今いる場所、やっていることには必ず意味がある。
むしろ、意味があると思える様に今を生き、未来へ繋げていく様に選択することが「人生を切り拓く」ことなのだと思う。人生は変えるものではなく、切り拓き、創り上げるものであり、そこには正解も間違いも存在しない。だから、「選択」と称して、今や今までの人生を否定することだけはやらないでほしい。