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ノスタルジック大阪帰省

大阪を出てから18年が経過しました。

年に1,2回ぐらいは大阪に帰っているのですが、それでも色濃く残るのは18年以上昔の大阪の情景。

何十回と帰ってきているはずの大阪ですが、メンタル不調のせいか今回はちょっぴり感傷的になっていて、なんだかとてもノスタルジックな帰省となりました。

想い出の味、20年越しのサウナ大東洋

まだ二十歳になりたての大学2年生のころ、梅田というか曾根崎町で某電力系インターネットプロバイダーのサポートセンターでバイトをしていました。

多分、100回以上は前を通り過ぎたであろうサウナ大東洋。当時は全く興味がなかったし、こんな最高の宿泊地があるというのに終電を逃してはカラオケでオールをしていたあの頃。

仕方ない。サウナにハマり出したのはここ2年の話だし、遊びたい盛りの20歳の自分に「サウナ最高やで」と伝えたところできっと理解は得られないんやろうなと思います。僕もサウナが似合う立派な大人になったという事で。

20年越しでやってきた思い出の地曾根崎に君臨する大阪のキングオブサウナ「大東洋」。ドライサウナもフィンランドサウナも最高でした。水風呂も外気浴もハイレベル。是非サウナ好きは遊びに行ってみてください。

そうそう、大学生の頃の思い出と言えば「ラーメン熊五郎」も捨てがたい。

新大阪の味の小径にも店舗があるのだけど、僕がよく行っていたのは天王寺。当時は確かアポロビルにあったはず。(知らない人はごめんなさい。。)

想い出の味「天津飯チャーハン・ラーメンセット」高校3年生のころ天王寺予備校の現役クラスで受験勉強に勤しんでいたので、熊五郎はランチの定番でした。

辛もやしの食べ放題はなくなっていたけれど、チャーハンの味が天津飯の餡で大分まろやかになる(パンチがなくなる)のは相変わらずで「そうそう、このもうちょいパンチほしい感じが熊五郎」なんて感慨にふけりながら。

ノスタルジック天王寺

南河内の人間にとって、大阪市へ出ると行ったら天王寺。僕の思い出はギリギリHoopが新しく出来たあたり。

ん?Hoopが分からない?コブクロの轍のPVが撮られたところって言えばわかるかしらん。

なんというか、このPVを観たいがためにコブクロの轍をいっつもひとりカラオケで入れてるんですが、懐かしさに半泣きで噎びながら熱唱しているオッサンがいたら多分僕なのでそっとしておいてやってください。

というのも、コブクロのPVでは古い近鉄百貨店が映っているのですが、ここはかの有名なあべのハルカス(下には近鉄百貨店が入っている)に建て替えられています。

Q’sモールができて随分と様変わりした天王寺。僕が中高生の頃なんて、割とアンダーグラウンドな街で、やたらに安いパチモンの靴とか、よくわからん店が一杯並んでいました。小学生の頃(90年代初頭)は半分じゃりン子チエの世界が残っていて、テツみたいなオッサンが一杯いた記憶があります。オッサンはその辺に寝そべってるし、上半身裸のステテコ姿で軒先で将棋打ってるし。

インドに出張に行ったりすると、そこはかとなく昭和の天王寺とオーバーラッピングして(インドの方が大分やばいけど)、懐かしい気持ちになります。

あべのベルタは健在で、アニメイトは既に閉店してしまったらしい。ガンダム好きだった少年Beckにとって、スーパーデフォルメされていないガンダムの情報が仕入れられる唯一の場所だったお店がなくなってしまったのは大変寂しい。

Hoopはこの辺です

変わらない街、変わりゆく自分

故郷の街、大阪府南河内郡太子町を歩いていてふと気付いた事があります。

あれ、何かエモくない?

いや、僕が故郷にノスタルジーを感じてるだけじゃなくて、時代の流れに取り残された大阪の片田舎が昭和の残滓を色濃く残すその感じがめっちゃエモいやん、と。

本屋やカフェやスーパーがなくなってたり、カインズが出来てたり、図書館が新しくなってたりはするし、新しく宅地開発されていたりもするのだけど、基本的な街の雰囲気はこの20年間変わらぬまま。何なら僕が住み始めた30年前からそれ程大きくは変わっていない。

母校の校舎やプール、体育館もそのまま変わらず。僕がいた頃から結構古かったんやけど、渡り廊下がサビサビで大丈夫かなと心配になるほど。

小学校の上にある町営グランド通称「上のグランド」。ここで運動会もしたし、死ぬほど遊んだでしかし。

上のグランドから校舎を覗けば、あの頃のままの校舎。当時の担任の先生に呼び出されて、祖母が亡くなった知らせを聞いたのもこの階段。色んな思いが去来する眺めです。

そして、上のグランドの脇にある公衆電話。災害時の指定避難場所になっている場所だけあって、公衆電話は死守されていました。まだ携帯電話がなかった頃、当時の彼女との電話をここからしていた甘酸っぱい思い出の場所です。

故郷の町はまるで時が止まったかのように変わらないのに、僕はすっかり年を取って、疲れ果てて、あんなに出たくて仕方なかった「大阪の片田舎」に今は憧れの念すら持っています。自然が豊かで、ちょっと不便だけど大阪市内にも出やすくて、何よりも思い出が沢山そこらじゅうに転がっています。

気分転換に山に登ったり、太子温泉の露天風呂でしこたまマイナスイオンを吸い込んだり。今横浜で同じ事をやろうとすると、1時間以上は車を走らせる必要があります。若い頃の自分では、この町の素晴らしさに気付くのは難しかったのでしょう。

聖徳太子と小野妹子と推古天皇のお墓の他、孝徳、用命、敏達天皇陵と、古墳マニアにはたまらない大阪の片田舎太子町。昭和ノスタルジックで映えると思うので、是非皆さん遊びに来て下さい。

さいごに

そんなわけで、何だかノスタルジーな気持ちになってしまった大阪帰省についてとりとめもなく書かせて頂きました。チャンスがあれば太子町でキャンプ場でも拓こうかな、なんてことも妄想しながら、故郷にガッツリ癒やされたGWでした。


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