あと何度、この子を抱くことができるだろうか。
そんなことを思うのは、とても気が早いのだと思う。
これからも毎日、幾度と無く抱き上げ、あやし、寝かしつける。
腕も背中もバキバキだ。
しかし、たった2ヶ月で体重は倍近くに増え、今も急速に成長を続ける子供は、いずれ夜はちゃんと眠るようになり、ミルクを卒業し、おむつを卒業する。今、僕達家族の間に流れているこの時間は永遠ではない。
いつか僕らの手を離れ、自分の足で立ち、自分の世界を築いていくのだろう。それはとても素晴らしいことなのだけど、その時を思うと寂しい気がしないというのは嘘になる。
だから僕は、二度とは戻らぬこの時間を何よりも大切にしたいと願い、この瞬間を切り取りたいとシャッターを切る。恐らく、僕に抱かれていたことは子供の記憶に残らないのだろうけど、一見ごくありふれたこの日常の風景を、僕は胸の奥深くに刻み込む。
○○○
社会人になってから10年が経とうとしている。会社の中では責任あるポジションを任せられ、仕事上で多くの裁量を与えられる反面、結構辛い事も多い。正直、楽しい事と辛い事なら、辛い事の方が多い。
有り難いことに、いくつか胸を張って「これは俺が成し遂げた仕事だ」と言えるものもできた。所謂成功体験という奴。そういう仕事は、得てして苦難の連続だったけど、その分得た経験値としては計り知れない。
32歳になっても、未だ迷うことが多く、人としても、ビジネスパーソンとしても未熟だ。
成果を出す為に苦しみながら知識と経験と閃きを組み合わせては、悶々と考え込む日々を送るのは、新入社員の頃から変わらない。今の方が随分高度で、ぶっ飛んだ成果が出せる気もするけど、産みの苦しみは変わらない。
僕にとっての「仕事」という奴は、どうにもこうにも楽なものにはなってくれないらしい。別にそうしろと言われたわけでは無いけど、自分の仕事には責任を持ちたいし、誰かの指示が出るまで何もしないなんて働き方はまっぴらゴメンだ。そして、やるからにはせめて自分が納得できる物を作り上げたい。
仕事は楽ではない。楽しいこともあるけど、辛いことの方が多い。いつまでも悩みは尽きないし、いつまでも頑張らないと終わりを迎えることができない。それでも、僕は自分の仕事にプライドを持っているし、会社に感謝もしているし、これまでの経験は意味があったと感じてもいる。
この先どうなるか分からないけど、どんな場面でも、どんな仕事でも、今目の前にある仕事を大切にし、せめて自分が納得できるレベルで成し遂げていきたいと思う。目の前の仕事ひとつまともにこなせない奴が、一体何を成し遂げられるというのか。
○○○
ふと考えてみれば、今の自分の状況というのは、自分の両親が、自分を産んだ時の状況に近いのだろうと感じた。
年齢だけではない。社会の中での役割がどんどんと大きくなり、家庭では子供が産まれたことで生活に大きな変化があったはずだ。全てがはじめてづくしの中、模索しながら前に進んでいたのだろう。
昔は大人というのは皆成熟した、何でも知っている、迷いの無い存在だと思っていた。だけど、実際にはそんな人などまずいない。皆、未熟で発展途上な存在だけど、それでも社会人として立ち居振る舞い、親になっていくのだ。
その事を思えば、あのありふれた日常が、なんと過酷で、奇跡的な物であったのかと気づかされる。明日もやってくる、幾千万の平和な日常は、何者も代替することはできないし、何よりも尊い。
僕はあの頃の両親のようになれるだろうか。今日立派に子供を育て、幸せな家庭を築いている世のお母さん、お父さん達の様になれるだろうか。勿論、ならねばならないし、なりたいと心底思う。
その道程は果てしなく遠い物ではあるが、近道などない。日々の日常を大切にし、目の前の仕事を大切にする。その繰り返しの中で、一歩ずつ着実に築き上げ、自らを成長させるしかない。焦らずじっくり、向き合って行きたいと思う。