最近はあまり気にならなくなったが、以前は
ライフハック=何でもかんでも効率化
と表現されることがあまり好きでは無かった。
ブログのタイトルに「Hacks」とかいれちゃってるし、何ブログって聞かれたら「ライフハックブログです」って答えるぐらいなので、何だか自分が大切にしている物を嘲笑されている様な気がして、いたたまれなくなってしまっていた。
最近そういった事が気にならなくなったのは、単に慣れただけというのもあるし、例え他の誰かに笑われても、僕のブログを読んで、僕が定義するライフハックを是としてくれる人がいる事を知ったからだと思う。
僕は信念をもってライフハックブログを称している。
そんな感じで吹っ切れた、ということなのだろう。
■武器としてのライフハック
例え「ライフハック(笑)」などと嘲笑されても僕がライフハックを信じる理由はただ一つ。
ライフハックは武器になるから
武器というのは、攻撃のための道具と捉えられるが、本来「武」というコトバには矛を止める、則ち身を守るという意味がある。僕にとってのライフハックとは、窮地には自らの身を守り、平時には自らの道を切り拓く助けとなる道具なのだ。
何故、ライフハックが身を守る道具になるのかと言えば、ライフハックとは基本的には即実践可能な「具体的な方法論」であるからだ。そして、そこには必ずそうする方が良い何らかの「必然性」が存在する。(逆に言えば、この2点を満たさない物は僕の中ではライフハックではない)
「具体的な方法論」であるライフハックは実践が容易であるから、まずは型から入り見よう見まねで身に付けることができる。例え、身についていない状況であっても手引き書があればある程度のレベルで実践することもできる。
何らかの問題に直面したとしても、適切な道具を選択し、見よう見まねで使ってみることである程度効果を得ることはできる。また、十分身につくまで訓練を繰り返せば、次に問題が生じたときにはよりスムーズに対処できるだろうし、もしかすると問題その物を未然に防ぐこともできるかもしれない。
例えば、GTD(Getting Things Done)は実に具体的かつ優れた情報管理手法であるが、傍目から見ればやはり”面倒”に映るだろう。しかし、その概念を知っていれば、雑多な情報を素早く「今フォーカスすべき情報」と「そうでない情報」に分類できるし、そうすることで「認知リソース」が節約でき、結果として「ストレスフリー」な状態を作ることができる。
もう少しかみ砕いておくと、「今フォーカスすべき情報」と「そうでない情報」の両方を書き出しておくことで、「そうでない情報」は今必要無いことを納得した上でしまっておくことが出来る。今気にする必要のない情報を気にすることは実に無駄な「認知」なのだ。
加えて、「今フォーカスすべき情報」が頭の中にしかないとなると常に「忘れてはいけない」という緊張に苛まれるが、ただこれを書き出すだけでいとも簡単に「忘れてはいけない」という緊張をなくすことができるのだ。
僕はかつて、家庭や仕事、個人的な活動など様々な役割で生じる沢山の「やるべき事」「知っておかなければいけない事」にただ翻弄され、時には重大なミスを犯してしまうことも少なくなった。しかし、GTDと出会い、見よう見まねでこれに取り組むことで、翻弄されている状態からよりストレスが少ないコントロールできる状態になり、ミスという問題は未然に防ぐことができるようになった。
■個性主義と人格主義
7つの習慣に「個性主義」と「人格主義」という表現が度々登場する。
枝葉末節のテクニックに傾倒することが「個性主義」であり、人生に深く根ざす自分自身の人格に対して働きかけることを「人格主義」と称する。少し意訳になるが、要約するとに「本質的な問題解決は小手先のテクニックではなく、自分自身を磨くことでしか得られない」ということだ。
僕もこの点には何ら異論は無い。例え、どんなに優れた道具を使ったとしても、それを使う側の人間が成長しなければまたいずれどこかで問題に直面することになるだろう。しかしそれは、道具が不要だと言うことには繋がらない。自分を成長させた上で、優れた道具も使っている方がモアベターなのだ。
もう一つ、先にも述べたとおり”具体的方法論(道具)”の型から入って、それを実践することで自分を成長させることもできる向きがある。道具を実践することで、道具の背景にある思想や目的を実践することができるのだ。例えば、人格主義を標榜する7つの習慣にも、実に多くの道具が提供されており、それらを実践する中で7つの習慣の考え方を身につけることができる。
「個性主義」か「人格主義」のどちらかではなく、「個性主義」と「人格主義」の両方が必要なのだ。
■誰か一人の笑顔が守れるのなら、それはやる価値があることだろう
不安で眠れなくて、ただじっと暗い天井を見つめながら朝が来ることに怯えていた僕も、できなくて悔しくて枕に顔を埋めて声を殺しながら泣いていた僕も、紛れもなく自分自身なのだ。藁にもすがりたい気持ちで本やブログを読みあさり、ライフハックや仕事術と呼ばれるジャンルに行き着いた。
あの頃の僕にとって、今すぐにでも実践できるライフハックは心の拠り所だった。問題はすぐには解決しなかったけど、解決に向かっているという前進感があったからこそ、挫けずにやってこれたのだと思う。
確かに僕は、テクニックを頼りにした。しかし、それを新しい仕事術に次々と飛び移る「仕事術ジプシー」などと称して欲しくはない。あの頃の僕は、藁にもすがる想いでライフハックや仕事術という道具を手に入れ、見よう見まねでそれらを使い、必死で自分の身を守った。
僕はこの経験から、もしかすると世の中に何人かは「武器としてのライフハック」を求めている人がいるかもしれないと思うようになった。そこにリーチ出来るかは分からないけど、たまたまこのブログにたどり着く人が一人ぐらいはいるかもしれない。
そのたまたまたどり着いた一人の笑顔を守る手助けができるなら、僕がライフハックについて情報発信をし続ける価値があるだろう。そう信じてブログを書き続けてきたし、きっとこれからも書き続けていくと思う。
そして僕自身も、自分や周囲の人達と笑顔がで過ごすために、もっと人として成長して、ライフハックも有効に使っていきたいと思う。他の誰かに何と言われようと、それでも僕はライフハックに夢を見つづける。
参考書籍