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サウナ後の心地よい冷気を感じる度に思い出す原風景

もう30年以上も前のこと。母方の祖父母が健在・・、いや大好きだったおじいちゃんとおばあちゃんが二人とも元気だったころ。結構な頻度で週末に一人で電車を乗り継いで泊まりに出かけていた。

携帯電話もない時代、最寄り駅に着いたら公衆電話から電話をかけて、迎えが来るまでスーパー(今は亡きニチイ)のゲームコーナーで15分100円のスーパーファミコンで時間を潰した。

家ではTVゲームの時間を厳しく制限されていたし、おもちゃも買って貰えなかったし、ジュースもカップラーメンも禁止されていた。祖父母の家ではファミコンを借りて心置きなく遊び、こっそりおもちゃを買って貰い、ジュースもカップラーメンも必ずストックされていた。両親と行った記憶は皆無であるが、祖父母に連れて行ってもらった健康ランド(スーパー銭湯というかスパリゾート)の思い出は朧気ながらも楽しい記憶である。

そんな祖父母の家のお風呂は、かなりお湯が熱く、井戸水をくみ上げた冷水は夏場でも冷たかった。寒風摩擦を推奨する祖父は、お風呂上がりに必ず冷水で冷やされたタオルで身体を拭いてくれた。

お風呂は離れに設置されており、母屋と行き来するために一度外に出る必要があった。家の風呂では感じることのなかった風呂上がりの爽快感を祖父母宅の風呂では感じることができた。冬場はぽかぽか暖かく冷気が心地よく、夏場も外の熱気が不思議と涼しく感じられ、子供心にとても不思議であった。

長じてサウナを嗜むようになり、上手く「整う」ことができたときに、祖父母宅の風呂でのみ感じられた爽快感の正体をやっと理解することができた。あぁ、僕はとっくの昔に整うとはどういうことかを知っていたではないかと、外気浴の爽快感の中に、朧気な記憶と楽しかった感情を思い出していた。

なので、僕のサウナ体験は少し他の人と少しばかり趣が異なるかもしれない。水風呂の後の外気浴で、研ぎ澄まされる感覚の中で、遠く朧気な記憶の中にある爽快感と、7〜10歳の頃のただただ楽しくて幸せだった時間を思いだし、懐かしさと切なさを感じている。

どんなに思い焦がれても、もうあの頃には戻れない。既に鬼籍に入って久しい大好きだったおじいちゃんとおばあちゃんに会うことはおろか、顔や声すらも朧気にしか思い出すことができない事がとても辛い。

それでも僕は、長じた今でも時折思い出せるほどに楽しく幸せであったかけがえのない時間を、祖父母と共に過ごせたことがこの上なく幸せで、有り難いことだったと思っている。

例え記憶が薄れていこうとも、僕以外の誰も知らない出来事でも、この思い出のおかげで僕はまた明日から頑張ろう、前を向いて再び歩き始めようと思えるのだから、もうそれだけで十分。心地よい冷気を浴びながら、そんなことをつらつらと考えていました。


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