15年務めた日本電気株式会社、通称NECという会社を6月末で退職しました。
転職先はBlog、Twitterには公開せず、FacebookとLinkedInのプロフィールにのみ記載します。このブログでは今後転職先並びにその仕事内容について触れる事はないと思います。
また、自分の本職に関する情報発信は基本LinkedInのみで行います。本職での活動が気になるって奇特な方はLinkedInをフォローしてみてください。
自分の経歴とか専門分野とか
今までブログにほとんど書いたことがなかったので、ちょっとだけ自分の経歴や専門分野を書いておきます。詳しい経歴はそのうちLinkedInに経歴を書ける範囲であげるので、そちらをみていただければと思います。
- 文系新卒で2005年にNECに入社
- 横須賀のとあるリサーチパークに配属になる
- それ以来、テレコムキャリアの運用をサポートするシステム(通称OSS: Operation Support System)及びその周辺のシステム開発に従事
- オペレーションの世界で客先出向させてもらったり、オペレーションとは全然関係ないNWロールアウトプロジェクトの火消しに突っ込まれたり、客先に営業と間違えられる程度に喋れるSEとして営業から重宝されるたり
- モバイルテレコムキャリアの運用監視にやたら詳しくなる
- その後、建設・プロビジョニング系のOSSとかETSI MANO系のオーケストレーションとかその周辺のAI開発とか色々開拓して今に至る
- 某通信キャリアのプロジェクトに参画、出向しその後転職に至る。そこでも基本はOSS開発とかMANOとかK8sとか、まぁそんな感じ。
- TMFとETSIと3GPPについて語り合いたいけどニッチすぎて国内に友達が少なめ。友達募集中。
あなたが使っているLTEのNWはもしかしたら僕が血を吐きながら商用にリリースしたネットワークかもしれないし、それを監視しているシステムは僕が連日徹夜してリリースした運用監視システムかもしれません。詳しくは書けませんが。
正直、転職する日が来るとは思っていなかった
正直に言えば、僕は起業をしないかぎり、NECで定年を迎えるのだろうと思っていました。転職という選択肢を選ぶとは夢にも思っていませんでした。
NECは一言で言えば、とても良い会社でした。
まったく不満が無かったかといえば嘘になるんですが、素晴らしい上司、同僚、先輩に恵まれ、やり甲斐のある仕事もやらせてもらえたので本当に感謝しかありません。
文系入社の僕にシステム開発の機会を与えてくれ、客先へ出向させてもらったり、リーダーとしてプロジェクトを率いさせてもらったりと、成長と挑戦の機会を沢山頂けたことは感謝しているの一言で済ませられるものではありません。
他の会社だったら多分、営業に回されてただろうし、今思えばとても技術力があるとはいえなかった僕を育てて下さった上司、先輩の皆様には本当に頭が上がりません。昭和の働き方が微妙に残る職場で、提案書上司に破り捨てられたのも、檄詰めされたのも今となっては良い思い出です。
なので、これからNECに就職・転職したいと考えている人には(当然部署ごとの違いはあることを前提に)ぜひ前向きに検討を進めていただきたいと考えています。(今は)コンプライアンスもしっかりしているし、超優秀な人から普通の人まで割とみんなが幸せに働ける会社なんじゃ無いかと、外に出てから改めてしみじみ感じています。
転職を決意した理由など
とはいえ、僕も転職を決意したわけですから、NECではできないことがあったことは事実です。いくつか理由を書いておくと
- NEC時代に自分が長い時間をかけて仕込んで最終的に受注できなかったシステムがあり、転職先でそれに責任あるポジションとして関われるチャンスがあった
- これまでベンダーとして携わったプロジェクト実績の中で、自分の名前が残ることは遂にはなかった(ベンダの限界)。黒子ではなく、自分が表舞台に立てる立場になりたいと思った。
- グローバルな環境で自分がどこまで通用するか挑戦してみたかった
- お給料が劇的に上がった。NECはある程度出世競争があるとはいえ、基本的には年功序列なので・・。純粋に高く評価されたのが嬉しかった。
- 何をやるにしてもプロセスの重さや、内向きに使うエネルギーが多いのがちょっと合わなかった。(よくいえばしっかりしている、悪くいえば小回りが効かない、旧態依然)
正直にいえば、多少の不満はありましたが、時々何もしないのに給料が自分より高いおっさんをKillしつつ、重厚長大なプロセスも必要に応じてハックしながら、やりがいをもって働いていました。
ただ、僕もどちらかというと組織の中でははみ出してる側の人間で、僕のことを高く評価してくれる人もいた一方、煙たがる人も少なからずいたことも事実です。
NECに不満があったから辞めたわけでなく、自分の専門性が最大限活かせて、とても高く評価されて、自分がやり残した仕事(或いはそれ以上の仕事)に責任ある立場として挑戦できる機会を頂けた・・それが転職した主たる理由であることは確かです。
外に出てから分かったこと
外に出てから感じたことは、NECはちゃんとした会社だったなーってこと。昔は間接費の高さに辟易してましたが、今は技術者が技術に専念するためにはある程度の間接コストは必要だと痛感しています。
グローバルな感じの職場は、文化的摩擦も起こるし仕事の進め方も全然違いますし、正直しんどいことの方が多いです。日本語だったら片手間内職ができる打ち合わせも、英語だと集中して聞かないといけないし、ドキュメンテーションも生産性が半減しますしね。
プロセスがしっかりしていること。予算管理がちゃんと機能していること。十分な間接部門が存在すること。文化的に統一されていて母国語で仕事ができること。そして、自分がしんどい時に頼れる上司や先輩がいたことなどなど・・出てからそのありがたみに気づかされること多いです。
組織に経験が蓄積されていることの素晴らしさについても、中にいるときには気づけませんでした。人材の層が厚く(超優秀から働かないおっさんまで)、離職率が低く、困った時には組織としてそれをバックアップする余力がある、というのはすごいことだったんだなと思います。
田町には思い出がいっぱい
NECの最終出社日(出向→転職なので、ただ社員証を返すだけの出社)、思い出の街「田町」を歩いてみたのですが、色々と胸に来る物がありました。
最終面接ではじめて本社ビルに訪れた時のドキドキ感。内定式や入社式で多くの同期と出会ったこと。我孫子の寮で同じ釜の飯を共にした同期達と毎日田町に通い、多くの仲間と出会い語り明かし、無駄に毎週末オールをしていた新入社員時代。
そういえば、二日酔いで這うように新入社員研修に行った僕に、メンターは「二日酔いでも這ってでも会社に来るのは社会人として大切な事」と言って、無罪放免にしてくれたっけなぁ。
上司と一緒に明け方まで飲んだり、カラオケしたことも数知れず、何故か朝活に目覚めて後輩達と朝7時からカフェに集ったこともあったなぁっと。田町の居酒屋ランチは安くて美味かった。そういえば、テレビ東京に取材されたとき、田町で撮影されて、会社の人にそれを見られてて恥ずかしかったなんてこともあったなぁ・・と。
しんどいことも沢山あったけど、文系新卒だった僕が一人前の技術者になることができたのも、得がたき仲間と沢山出会えたのも、様々なお客様と一緒に仕事ができたのも、NECという会社のおかげでした。
新卒から15年と少し。ここで得たものの大きさは計り知れません。辞めてしまった僕に言う資格があるかは分かりませんが、僕はこの先もこの会社が発展し、かつての仲間が世界を驚かせるような仕事を成し遂げてくれることを心から願っています。
最後に、抱負に代えて
退職エントリなんて一生のうちに何度も書ける物じゃないのでとりあえず書いてみようと思ったのですが、転職先の仕事がくっそ忙しくて退職後1ヶ月以上経ってやっと更新ができました。
正直、転職先での仕事はむちゃくちゃしんどいことが多いです。それでも、僕にはNECで培ってきた知識や技術があり、多くの尊敬できるロールモデルと仕事をしてきた経験があって、それで何とか戦えているわけです。グローバルがナンボのもんじゃい、と。
これまでお世話になった方々や苦楽を共にした仲間に「おー、北頑張ってるなー!」と言ってもらえる位に活躍できる様、一層努力していく所存。頑張ります!
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