ごく個人的な話で恐縮であるが、色んな意味で仕事に一区切りが付いたので、ちょっとした心境の記録を残しておきたい。
年度末で無事終えた仕事が2つ、長らく取り組んできて強い思い入れがあったのだが”駄目だった”仕事が1つ、なんとなく区切りを付け損なった仕事が1つ。バーンアウト気味ではあるが、取り合えず一区切り。
アシタノレシピでも書いたんだけど、僕は自分の心身のバランスを崩すほどまでに強い思い入れを持って取り組んでいた仕事に失敗した。それはもう、自分史上最大級の失敗で、正直に言えばまだ立ち直れていない。夢にも見るし、頭痛や吐き気も時折顔を覗かせる。
それじゃ、失意のどん底かっていえばそうでもなくて、どこか清々しい。後悔はあるし、タラレバを今でも空想するけれど、それでも気分だけはとにかく清々しい。
沢山の人に迷惑を掛けて、沢山の人に助けて貰って、沢山の辛い思いをしながら、自分の全精力を出し切り戦い抜いた。たぶん、もう一回同じ事をやろうとすれば、間違いなく僕は駄目になる。
今の自分がやれることは全部やり尽くしたので、完全燃焼はできたのだと思う。足らない部分があるとすれば、今の自分に根本的に備わっていない能力で、努力や根性でどうにかなるもんでもなかったろうなと。
■終わってから悔しくて泣いたあの頃
そんなことを思っていたら、ふと高校時代のバレーボール部の引退試合のことを思い出した。
よく言えば「公立高校の中ではそこそこ」、強豪チームとは言いがたかった。4部リーグの内1部残留を辛うじて決めたあと、引退試合はトーナメントの3回戦で負けた。
強豪校相手に手も足も出なくて、あまりにもあっさりとした幕切れで、どこか「引退」という実感が湧かなかった。「もう、これでこのチームで試合に出ることはないんやなぁ・・」って思うと、涙が止まらなくなった。
その時は完全燃焼とはほど遠くて、そこに至るまでのプロセスで僕はもっと努力ができたって後悔だけが頭の中でグルグルと回っていた。やり残したことが、山ほどあった。
就職で東京に出てくるまでの間、母校に戻って外部指導者登録をして、バレーボールを教えようと思った背景に、この後悔の念が無かったと言えば嘘になる。
■結果はどうあれ清々しく在る
今頃になって16年も前のことを思い出すのは些か自分でも意外であったが、それ程僕の中では象徴的な出来事だったのだと思う。そして、今の僕を16年前の僕と比べれば「結果はどうあれ清々しく在ることができる」点では大きく前進できていると思う。
そりゃ、もっと上手くやれることもあるだろうし、ビジネスなんだから手前の努力なんかどうでもよくて、結果出せよって言われても致し方ない。
でも、ビジネスの世界も相手があることなので、勝つことも負けることもある。自分一人の力ではどうしようもないこともあれば、理不尽な政治力や、神風が吹くことだってある。つまり、結果はコントロールできない。
であれば、自分がコントロールできる範囲で「自分は全力を尽くせた」と言える仕事をするしかない。それができれば「結果はどうあれ清々しく在ることができる」のだ。
■自分の限界と向き合うこと
今回、後悔というか残念だったのが、途中で精神的に耐えきれなくなって、パフォーマンスが全くでなくなってしまい、周りに迷惑を掛けまくってしまったこと。
最後まで、全力を出し切りたかったけど、限界を感じて上司に相談に行ったとき、話している内に涙が止まらなくなった時にすっかり観念した。ここが僕の限界と認めざるを得なかったのだ。
厳しい状況に追い込まれたとき、強く感じたのは「覚悟と度量」の圧倒的な不足。
覚悟が足りていなかったから、冷静に最善手を繰り出すことができなくなってしまったし、度量が足りていなかったから、自分の事で精一杯で、周りに気を回すこともできなくなっていた。
仕事に責任を持つからこそ、仕事と適切な距離、則ち「中庸」を保って、常に冷静でいることを心がけなければいけない。しんどい時には一人で抱え込まず、むしろ周りに頼った方が結果的にチームへの貢献になることもある。
平時であれば誰だって持てる力を存分に発揮できる。追い込まれたときに見せる本性とパフォーマンスこそがその人の真価であり、僕は自分の弱さ、未熟さという真価にイヤと言うほど向き合わさせられた。
今はその限界を認めて、次はもっと上手くやれるよう研鑽を重ねていくのみですな。
■最後に
TwitterやFacebook上で繋がっている皆さんには、大変心配をおかけいたしましたが、なんとか大変な状況も脱し、精神的にも立て直すことができました。(ちょっとバーンアウト気味ですが)
3月末で、色んな意味で仕事に一区切りがついてしまったので、またここから前を向いて一歩ずつ歩んでいきたいと思います。
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