とても残念なことではあるけれど、組織で働く限り、個人の希望よりも組織のニーズが尊重される。
例えば、あなたが世界をあっと言わせるような斬新なサービスを練っていたとしても、目の前の売上に直結するプロジェクトを回す人としてあなたが適任であれば、組織は十中八九、あなたをその目先の売り上げを得るためのプロジェクトに投入するだろう。
必要とされるならまだいい。あるプロジェクトに兎に角人を集めなければいけないとか、あいつはこの過酷なプロジェクトに投入しても精神的につぶれないだろうとか、そういう「別にこれ、俺じゃ無くても良いよね」と思うようなアサインだって多々あるものだ。
誰もが希望する仕事を、自分の思いどおりに進められれば幸せだろう。自分がずっとやりたいと思っていた事、自分が希望する社会貢献の形、毎日時間が過ぎるのも忘れてひたすら没頭できる事を仕事にできれば幸せだろう。毎日会社に行くのが待ち遠しい、ワクワクしっぱなしの毎日ならどんなにいいだろうか。
■目の前の仕事がとてもつまらないものに見えたとしても
目の前の仕事がつまらなければ辞めてしまうのも手だろう。幸いにしてこの国では、自分にぴったりの仕事を探す自由が法律で守られている。
スティーブジョブズの名言もある
「もし今日が人生最後の日だしたら今日やる予定のことは本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」
それでも、敢えて僕は言いたい。
今目の前の仕事がとてもつまらないものに見えたとしても、その仕事に創意工夫をこらし、一生懸命取り組み、自分の中で「俺はやったぜ!」と達成感が得られるように努力すべきである。
いや、わかる。つまらない仕事に取り組むときにそんなモチベーションがないことは百も承知だ。僕だってそうだし、先に述べたことなんて、そのまま自分に言い聞かせているにすぎない。
■仕事を選り好みする内は仕事に選ばれることはない
これが真理かどうかは分からないけど、社会に出てもうすぐ丸9年経ってわかったことがある。
それは、僕らが仕事を選ぶのでは無く、仕事が僕らを選ぶと言うこと。
端的に言えば、組織なりチームなりのマネジメントが、あなたというリソースをどう使うかを決定するのだから、当たり前の話だ。仕事を自分で作る(自らの発案でより厳密にはお金を稼ぐか、経費を削減する)場合も、作った仕事をそのまま自分のモノにできるかどうかの決定権すら自分にないことだってある。
ある仕事に最適な人材を、お客さんなり、上司なりが求めていたとして、”その適任者があなただ”と”ピン”ときて貰わないといけない。それには「僕はこの仕事がやりたいんです!」という情熱だけでは不足していて、自分の「スキルセット」か「過去の実績」のどちらかを意志決定者にすり込んでおき、真っ先に顔が思い浮かぶ状況でなければならない。
想像して欲しいのだが、いま目の前にある簡単な仕事すら満足にこなせない人間に、より複雑な仕事を依頼しようと思う人などいないのだ。別の見方をすれば、目の前にある仕事がひどく厄介なものであれば「この人なら他のどんな仕事をお願いしても大丈夫だ」という絶大な信頼を得るチャンスになる。
自分は本当に「やりたい」と思っている仕事に相応しいスキルと対外的な評価を持っている人間だろうか?答えが「ノー」であれば、まずは今目の前にある仕事に全力で取り組み、スキルを磨き、周囲からもその仕事にふさわしいと認められる冒険者ランクを獲得する必要がある。
■楽しい仕事に就くことに心血を注ぐ前に仕事を楽しめる人になろう
社会に出て、もう一つとても大切な事に気がついた。
それは、仕事を楽しんでいる人は、楽しい仕事に付けたラッキーパーソンでは無く、楽しく仕事に取り組んでいるポジティブパーソンだということだ。
楽しい仕事に就ければ、自然と仕事が楽しくなる・・というのは間違いないではないが、100%全ての時間が楽しいということはまずあり得ない。多少なりともはしんどい事、嫌なこともあるし、雑用を求められる場面も回避は難しい。場所を変えれば嫌なことから解放されると思っているのであれば、それは非常に危険な考えだ。
いま目の前にある嫌なことから逃れたくて仕事を辞めるのであれば、移った先でもまた嫌なことに遭遇して「こんなハズじゃ無かったのに」と悔やむことになる可能性が高い。いずれ逃れられないのであれば、最低源嫌なことに目をつぶれるようになるべきだし、嫌なことでも楽しめるようになれるならそれにこしたことはない。
■例え辞めることが正解でも、目の前の仕事に手を抜くべきではない
この見出しは誤解を招きそうなので少し補足をしておく。
逆立ちしても今いる場所では「自分が本当にやりたいこと」ができない場合もあるし、別の場所に移った方が「自分が本当にやりたいこと」により近づけるという場合だってある。だから、「自分が本当にやりたいこと」に近づくために居場所を変えるという事自体を否定するつもりは全くない。
ただ、例え辞めることが正解だったとしても、目の前の仕事の手を抜くべきではない。その仕事にしっかり取り組むことで、スキルを磨いたり、対外的な評価を得ることができるのに、つまらないとただ漫然に時間を過ごして、このチャンスをみすみす逃すのはとても勿体ない。
さいごに
最後に簡単なまとめ。
何らかの理由で、目の前の仕事がひどくつまらないと感じた場合でも
・本当に「やりたい」と思っている仕事に相応しい人間になる
・どんな仕事でも楽しめるポジティブさを身に付ける
という2つの目的の為に、手を抜かず、創意工夫を懲らし、一生懸命取り組むと良い。そうすることによって、スキルが磨かれ、チャンスを呼び込み、新たな道が切り開ける可能性も出てくるだろう。そしてその方が、最終的に辞めるという決断を下した時にもより多くのモノが自分の中に残ることになるからである。
参考文献
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