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祖父の死が教えてくれた大切な事

ちょうど一週間前、祖父が亡くなったという連絡を受けた。

ここ4ヶ月、ずっと覚悟してきたことだったし、お見舞いに行くたびに「これが最期かもしれん」と自分なりに後悔がないようにしてきた。でもやっぱり、悲しかった。電話を貰った夜はひたすら泣き崩れた。

その時のmixiの日記はこちら(mixiのアカウント持ってない人は申し訳ない。)

横浜と奈良という位置関係もあって、なかなかお見舞いにも行けなかったから、通夜の夜は、一晩中祖父の棺の前に座って線香番をしていた。色々な思い出を思い出し、考えを巡らし、気持ちを整理した。

祖父と祖母は、共働きの両親の代わりに姉と僕の面倒をよくみてくれた。風邪を引いたら看病をしにきてくれたし、授業参観にも良く来てくれた。僕も休みになればよく祖父母の家に泊まりに行っていた。

昔は両親の教育が厳格だったこともあって、清涼飲料水やインスタントラーメンを祖父母の家でこっそり食べさせて貰った。両親はおもちゃを買い与えてはくれなかったから、祖父がこっそり買ってくれた。親に見つかったら怒られるからと、祖父母の家におもちゃ箱を作ってもらった。(勿論、親にはばれていた)

僕にとって、祖父は、おじいちゃんは、感謝しても仕切れない、本当に大切な人だった

通夜も告別式も、僕はただ祖父との思い出をひとつひとつ思い出しながら、泣いた。祖父の遺体と最後のお別れをするその時まで、僕はただ「ありがとう。」を繰りかえした。

祖父にしてもらったこと、祖父との暖かい思い出を一つ一つ思い出すごとに、悲しいと言うよりも、そんな素晴らしい記憶を思い出せたことを嬉しく思い、また、祖父へ感謝の気持ちでいっぱいになった。僕は祖父によってとても幸せな人生を送ってこれたんだなぁって胸が痛くなるほど感じ入った。

姉が気を遣ってくれて、祖父の棺桶に入れるお供えものを僕に回してくれた。最後に触れた祖父の肌はビックリするぐらい冷たかったけど、死に顔は安らかだった。出棺の時に祖父の棺桶を持つことが出来たんだけど、腕に感じる重みは、どこか朧気だった”祖父の存在”を明確に感じさせてくれた。

最後に火葬場で祖父とお別れをするとき、

「今までほんまにありがとうな。僕はほんまお爺ちゃんの孫で幸せでした。」と、ちゃんと声に出して伝えることができた。

本当は、生きてるときに伝えたかったんやけどね・・・

奇しくも火葬場の行き帰りの道は、昔祖父が僕を家まで迎えに来るときに使っていた道だった。あの頃は、祖父が家に来るのが本当に嬉しくて、祖父の車で祖父の家まで行くその道のりが本当に楽しかった。王子のビッグバンや結崎のニチイに寄って晩ご飯を買って帰り、祖父母と3人で食事をした。

告別式の2日後に納骨があり、親族が再び集合して祖父の形見を整理した。
僕は形見分けに、思い出の将棋盤と電卓、タイマーを貰った。また、祖父の数珠や礼服のネクタイなんかも貰うことができた。大事に使わないとなぁ・・・。

昔は、僕がいつ行っても大丈夫なように、常に食品棚にはチキンラーメンとカレーヌードルが常備され、箱買いされた缶ジュースが冷蔵庫で冷やされていた。勿論、今はラーメンもジュースも無いのだけど、チキンラーメンを食べた丼ぶりは今も残っていたので、なんだか嬉しかった。

祖父は良く、僕を手押しの一輪車に乗せて河原の畑や筍掘りに連れて行ってくれた。河原で遊んだり、収穫を手伝ったり・・・そんな郷愁に思いを馳せるのは何年ぶりのことだろうか・・。

棚には、僕が良く遊びに行った頃のおもちゃ屋のチラシが残されていた。24号沿いにトイザらスができたころだから、僕が小学校5年生ぐらい(15年以上前!)の時のチラシだと思う。確か、あの頃は僕が電気屋さんやおもちゃ屋さんのチラシを見るのが好きだったから、いつも祖父が取っておいてくれたんだったなぁって。そんなことを思い出したら、何だかまた泣けてきた。

祖父をずっと最後まで見てくれた叔母が「どんなに意識がもうろうとしてても、しんちゃんのことはずっと覚えてたし、しんちゃんがお見舞いに来たことも覚えてたよ」と教えてくれた。

GWに彼女を連れてお見舞いしたとき、看護婦さんが「今日は誰が来てくれてるの?」と聞くと「しんちゃんと娘さん(僕の母親)」と答えていたことや、最後にお見舞いした日、叔母が祖父に「しんちゃん結婚するねんで。いくらお祝いする?」と聞いた時、祖父が「五万円。」と答えていたことを思い出して、また泣いてしまった。

祖父の死は僕に大切な事を思い出させてくれた。
沢山の暖かな思い出の中には、祖父の愛が沢山詰まっていた。
祖父のおかげで僕はむちゃくちゃ幸せだったと思う。

そんなことを考えていたら、祖父への感謝の気持ちがとめどなく溢れてきた。

祖父にはもう感謝の気持ちを伝えることも、恩返しをする事も出来ない。
だからその分、祖父の子供である親に孝行をしたいと思うし、
まだ幼い従兄弟や、これから生まれてくるであろう僕の子供や孫達に
僕が祖父からしてもらった以上のことをしてあげたいと思う。

祖父との思い出や、祖父のしてくれたことが今の僕を作ってくれた様に、
僕はそれを他の誰かにしてあげることで、祖父の精神はきっと永遠に
生き続けるんじゃないかなと思う。

祖父の死はただひたすらに悲しかった。

でも、今、僕の心はビックリするぐらい清々しく、幸せで、暖かで、
感謝の気持ちで溢れている。

葬式の間中、「祖父は幸せだったのかな?」と考えていた。

でも、残された沢山の写真の中で、段々と笑顔が増えていく祖父を見れば、
また、僕にこんなに沢山の幸せをくれた祖父のことを思えば、
祖父が幸せだったかどうかなんて、考えなくても分かることだと思う。

僕が幸せだったように、きっと祖父も幸せだったと思う。

祖父が笑顔で僕の名を呼ぶ様を、今でもはっきりと思い出すことができる。

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