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飛鳥BIG3に会える太子町においでませ #勝手に太子町観光大使

飛鳥BIG3と言えば

  • 聖徳太子(厩戸皇子)
  • 小野妹子
  • 推古天皇

の3名である。勿論、異論は認めない。
(蘇我馬子のことはいったん忘れよう)

皆さんはそんな飛鳥BIG3に会える町が大阪にあることをご存知だろうか?

そう、タイトルからお察しの通り、我が故郷「大阪府南河内郡太子町」こそ飛鳥BIG3に会える唯一無二のオンリーワンな土地なのであります。(飛鳥時代以来のビッグニュースはサッカー日本代表前田大然が輩出されたこと)

今回は実家に帰省した際に、散歩ついでに飛鳥BIG3の墳墓を巡ったので写真を交えてこれらを紹介してみたいと思う。

大阪の片田舎太子町について

ちなみに大阪府南河内郡太子町とフルスペルで書いているのは、兵庫県にも揖保郡太子町がありユニーク性が担保できないからであるのだけど、以降は太子町で通すので「大阪府南河内郡太子町」と読み替えて頂ければ幸いである。

大阪と言えば日本で2番目に人口が多い都道府県であり、大都市というイメージをお持ちの方も多いと思う。しかしながら、郊外にいくつか郡部が存在しており、我らが南河内郡には大阪府唯一の村政を布く千早赤阪村が存在する。

要するに田舎なのである。

大阪府下としては珍しくミカンとブドウといった農産物の産地であり、工業/サービス系の産業は皆無という画に描いた様な田舎町である。

だがしかし、時代を遡れば飛鳥時代には日本最初の国道である竹之内街道が整備され、飛鳥BIG3である、推古天皇陵、聖徳太子陵、小野妹子の墓などが設けられた歴史ある土地である。

他にも用明天皇陵、孝徳天皇陵、敏達天皇陵をはじめとした大小200の古墳が、たった14.17平方キロメートルに密集する所謂「王陵の谷」というやつで、墳墓に適した丘陵に飛んだ平地が殆ど存在しない町である。

母校太子中学の運動部では「長坂」と呼ばれる校舎近くの町道がランニングコースの定番であり、1周1km程度の坂道コースを何周も走らされるのが定番であり、これらをアレンジした「推古」や「妹子」といった史跡をゴールとした長距離のバリエーションを設けていた。

長坂
長坂

飛鳥BIG3不動のセンター推古天皇陵

長坂の周回コースを外れて少し足を伸ばすのが「推古」こと「推古天皇陵」。

丘陵地を切り開いて作られた畑の中に唐突に現れる方墳(或いは長方墳)こそが推古天皇陵こと陵磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)である。

聖徳太子こと厩戸皇子が叔母である推古天皇を補佐した・・という日本史を学ばれた方も多いのではないかと思う。額田部皇女こと推古天皇は初の女性天皇であり、その治世の特徴としては仏教信仰と遣隋使があげられる。

日本史のレジェンド聖徳太子陵

歴史の教科書では聖徳太子という表記はしなくなったらしいが、やはり聖徳太子は日本史に燦然と輝くビッグネームである。

日本史の教科書では厩戸皇子と現しているらしいが、正式な本名は不明らしく、古事記では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと)」、日本書紀では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)」とされている。

以降は面倒なので聖徳太子で表記する。

聖徳太子陵は叡福寺というお寺の境内に存在する。

聖徳太子が開いたとも、推古天皇が創建したとも、聖武天皇が命じたともされる寺社であり、平清盛が修繕を施したり、織田信長に焼き討ちされて豊臣秀頼に再建されたりと中々に波瀾万丈な寺社でもある。

大阪の片田舎にある寺社としては不釣り合いなほどに立派な寺社であり、実家から丁度良い散歩コースでもあるので、帰省の度にお参りをしている。なんなら小学生の頃から初詣といえば叡福寺であった。

境内はほどよく広いが、一般には知名度がそれ程高くないこともあって正月でもなければ境内が混雑することはない。

二天門と呼ばれる門を抜けた先に聖徳太子陵がある。

陵の前では線香台があり、1本20円でお線香を上げることができる。小学生の頃から線香の煙を頭に掛けては「頭が良くなりますように」と願掛けをしていた。

二天門の名前の由来である持国天と増長天もこれまたすんばらしい。

遣隋使と言えば小野妹子

日本史上、最も有名な遣隋使は2度も随に遣わされた小野妹子であることは異論の余地はないだろう。(他の遣隋使である吉士雄成や犬上御田鍬・矢田部造を知っている人は相当の日本史マニアだと思う)

ちなみに太子中の運動部にとって「妹子」は大変に過酷なトレーニングコースであった。というのも基本コースの長坂に往復で2km弱の距離が加算されるだけでなく、墳墓に至る石段をダッシュで登ることが常であったからである。

天皇陵ではないので陵ではなく、あくまで墳墓なのである。41のおっさんは歩いて石段を登るだけで息が切れるが、ここをダッシュで何往復もやっていたのだから中学生の体力は恐るべしである。

小野妹子の墓の麓には科長神社(しながじんじゃ)があり、地元を離れて以来20数年ぶりのお参りは中々に感慨深いものがあった。

さいごに

ということで、今回は実家に帰省した際に散歩ついでに飛鳥BIG3である推古天皇、聖徳太子、小野妹子の墓陵墳墓を巡ったので、写真を交えて紹介させて頂いた。

聖徳太子の御陵がある叡福寺を起点として推古天皇陵、小野妹子の墓を巡ると大体5〜6km程度のウォーキングであり、且つ丘陵地のアップダウンでもあるためちょっとした運動にもなるので是非徒歩で巡ることをお薦めしたい。

そんなわけで飛鳥BIG3に会える町、我がふるさと大阪府南河内郡太子町に是非一度遊びに来て頂ければ幸甚である。

今回紹介した場所の地図はこちら

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