「独立して自由になって夢を掴んでハッピーになろう!」或いは「自分の好きなことをやって生きていこう!」みたいな言説は、定期的にネット上を賑わせている。
一つの考え方として良いんじゃないかと思うし、確かに好きな事をして生きていければそれは幸せな事だと思う。
そもそも、僕は他人の生き方にとやかく言える程偉くもないし、人生経験が豊富なわけでもない。
全ての人は初めて自分の人生を生きていて、一人として同じ人生を歩む人は存在しない。それなのに、他人の生き方に対して「それは間違っている」などとどうして言えるだろうか。
つまるところ、この文章は、ただただ僕の「人生観」や「生き方」を主張するものでしかなく、この文章を読むことで勇気づけられるかも知れないごく一部の方にエールを送ることを目的にしている。
誰かの「人生観」や「生き方」を否定する気など、これっぽっちもない。
■果たして僕の人生は「不自由」で「つまらない」ものなのか?
僕は会社組織に属して働き、生活の糧を会社からのサラリーから得ている所謂サラリーマンだ。(変わったところと言えばブログをやっている事ぐらい)
勤続10年、中堅どころのポジションでちょっとした役職もついている。仕事は楽ではないし、理不尽なことも少なくない。ストレスで眠れなくなることも、胃が痛くなることもあれば、家族との時間に犠牲を強いられることもある。
朝、満員電車に乗って会社に出勤し、定時で帰れることはまずあり得ない。(役職がついてこのかた裁量労働で働いているため、決められた条件以外では残業代は支払われない。)必要な時には徹夜も休出もあり得るし、自宅に仕事を持ち帰ることも珍しくない。
プライベートでは住宅ローンを組んでマンションを買い、先日子供が産まれた。ローンの返済に育児、責任が両肩にのしかかるという奴だ。
まるで絵に描いたようなステレオタイプの「日本のサラリーマン」な人生を送っている僕の毎日は、さぞや「不自由」で「つまらない」ものだろうと思われる人もいるかも知れない。
しかし、僕はなんだかんだ「自由」に生きているし、仕事だってとても「面白い」。家族と共に平穏無事な毎日を過ごせる今は、とても「幸せ」な日々だと思っている。
その「普通」、実は凄いことなんじゃない?
子供が産まれてくるとき、兎に角「無事に産まれてくれ」「元気でいてくれれば他に何もいらない」と本気で願った。子供が勉強やスポーツに秀でて欲しいとか、将来成功して欲しいなどとは微塵も思わなかった。
平成23年の出生数は105万人そこそこなので、恐らく平成27年も100万人ぐらいは子供が産まれるのだろう。100万人いる内の1人が無事に産まれたことは、社会全体でみれば「普通」の出来事なのかもしれない。しかし、僕ら夫婦にとっては「凄い」こと以外の何者でもない。
体力も時間も財産も、全てが子供中心に置き換わる。あらゆる事柄は、子供の泣き声の前では無力だ。あらゆる労苦が、子供の安らかな寝顔の前に跪く。
働いて、税金や年金納めて、家買って、子供が産まれて、育てて、社会に送り出して・・・全部「普通」に思えるかも知れないけど、これって実は「凄い」ことなんだなって最近ずっと考えている。
妻のことを、子供のことを、育ててくれた両親や親族のことを思う時、どうして僕の人生を「普通」のひと言で片付けられるだろう。損得勘定ではなく、ただお互いの「健康」と「幸せ」を祈り会える大切な人達と過ごすその日々を、どうして「つまらない」などと言えるだろう。
着実に改善を積み重ね、人生を切り拓け!
世間一般的に見て、僕は割と幸せな部類なのかも知れない。いや、「幸せ」と感じているのだから、絶対的に幸せなのだ。
仕事にやり甲斐を感じ、プライベートも充実している。五体満足で、食うに事欠かず、家族は平穏無事で、住みたい場所に住み、行きたい場所にも行け、欲しいモノもそれなりに手に入る。そもそも、それほど大きな欲がないのかも知れない。
とはいえ、やりたいことを全部出来ているわけではないし、夢に対しては道半ば。今の自分に決して満足はしていない。限られた人生の中で、よりよく生きる為に改善すべき余地はまだ沢山ある。
そういう意味で、僕は常々「人生は改善の連続」だと思っている。
人の一生のうちに、一夜にして景色がガラリと変わる奇跡はそう起こるものではない。自分で起こす努力をしないのならなおさらだ。奇跡を起こす人の99%は、奇跡を起こすだけの準備と試行を行っている。
努力は報われるとは限らないが、努力をしなければ何も変わらない。成し遂げたい何かがあるなら、その事に取り組まないことには、成就できる可能性は万が一にもあり得ない。
人生を変えるのに必要な事は、飛び出す勇気でも、現状を捨て去る覚悟でもない。日々懸命に生き、努力を重ね、改善を繰り返し、目標に向けて着実に取組続けることでのみ、人生は切り拓けると僕は固く信じている。
鏡の前で『もし、今日が人生最後の日なら、今日やる事は、本当にやりたいことだろうか?』とジョブズの様に問いかけて、もしも答えが「No」だったとしても、いきなり会社を辞める必要は無い。
大切なのは偉大な意欲を持ち、それを貫くだけの技量と忍耐力とを持つことだ。(ゲーテ)
夢を持ったり、大志を抱くことは素晴らしい。現状を変えたいと願うなら、試みと努力を重ねる必要がある。しかし、人生にはそれらと同じくらい忍耐することも重要だ。
「幸せ」と「自由」を他人の手に委ねるな!
僕が「自由」でいるためにモットーにしている言葉はこれ
「幸せ」と「自由」を他人の手に委ねるな!
自分にとって「幸せ」とは何か。「自由」とはどういう状態か。その定義を他人に委ねてしまう事ほど「不自由」なことはない。
仕事ひとつとっても、色んな考え方がある。
組織にいれば、会社のブランドと、金と、人材を使って、自分一人で成し遂げられない大きな仕事ができる。給料を貰いながら、スキルも人格も磨いていける。会社組織の仕事が一様に不自由でつまらないわけでもない。
ただ、もしかしたら「自分が本当にやりたいことではない、つまらない仕事」なのかも知れないし、会社を辞めることが正解な場合もあるかもしれない。だから、無理に「自分の仕事は素晴らしい」などと思い込む必要はない。
どちらが正しいと、僕は断じたいとも思わない。それは、最後の1ミリまであなたが決めるべきことで、他人が口を挟むべき領分ではないのだから。
■最後に
繰り返しになるけれど、この文章は僕の「人生観」や「生き方」を主張するものであり、同じような「人生観」を持つ人に対して送るエールである。
- 大切な人達と過ごす「普通」の日々こそ素晴らしい
- 日々懸命に生き、努力を重ね、改善を繰り返し、目標に向けて着実に取組続けることでのみ、人生は切り拓ける
- 夢や大志も大事だけど、それと同じぐらい忍耐だって大事
- 「幸せ」と「自由」を他人の手に委ねることこそ「不自由」
他人に普通と言われても、平凡と言われても気にする必要は無い。他人の人生を「つまらない」と言う人の方がよっぽどつまらない人間だ。
勤勉と実直を重んじ、目の前の仕事に全力を尽くす。石橋を叩きつつ、苦難に耐え忍びつつ、夢にむかって着実に進んで行く。そういう生き方も「有り」だって想いは、30過ぎた頃から確信じみたものに変わってきたように思う。
参考書籍
なんかこういう事をどっかで読んだよなぁ、と思って久々に「自助論」を手に取ってみたら「勤勉」「忍耐」「努力」「誠実」といった言葉が出てくる出てくる。あまり意識していなかったけど、どうやらこの本にかなり影響されていたっぽい(^^;