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今自分が何を考え、どう感じて、何をやろうとしているかを書き続け年輪を作り上げる

かつて、このブログで【雑記】というジャンルで記事を書いていたのですが、現在は全てNewsletterに書くようにしています。

深い理由があるわけではないんですが、自分の赤裸々な部分はNewsletterという少しクローズドな場に書く方が良いと思っています。というのも、かつて【雑記】で書いていた内容に対して、少しネガティブなコメントを受けたことがあり、思いの外にダメージを受けてしまったためです。

そんなわけで、かつての【雑記】っぽい記事はNewsletterという読者との距離感が近く、センシティブなことを安心して書けるクローズドな場所で書き続けておりますので、ご興味があれば是非ご購読頂ければと思います。

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さて今回は、そんな【雑記】Newsletterに「今自分が考えていること、感じていること、やろうとしていること」を書き続けてきた結果、なんだか年輪っぽくなってきたというお話です。(メルマガのこちらの記事を下敷きに書いています。)

ゴールとメリットを考えるから幻滅する

ブログ/Podcast/Youtube/Newsletterなどを続けていくことに、一体何の意味があって、誰にとってメリットがあるのかなんてことは、とうの昔に考える事をやめてしまいました。

人が生きる道というのは常に未踏の地です。この旅路の先に何が待っているかなんて、他人はもちろん自分だってわかりっこありません。

世の中にはブログやYoutubeを生業にしている人もいますし、人生が変わったと言いたくなるような経験をした人もいると思います。しかし、同じようにやってその人達が言う成果を得られるわけでも、ましてやその人達のようになれるわけでもありません。

アウトプットを続けた先に待っている成果やメリットを期待しても、必ずそれらが得られるとは限りません。むしろ、そういうモノがあるから理想と現実の乖離に幻滅し、メリットを感じられずに辞めてしまう人が多いのだろうと思います。

僕は自分の考えた事や、感じたこと、やっていることを書いたり話したりしてきました。誰かのためでもなく、自分の為でもなく、ただ書きたいから書き、話したいから話してきました。

孤島で石板を刻み続けた経験

小学生の頃にプログラマーに憧れ、中学生になってパソコンを購入し、インターネットという言葉がまだ普及する以前からスタンドアロンでパソコンを使い続けてきました。

プログラムを書き、DTMで曲を作り、下手くそな絵を書き、インターネットが登場するまではCD-ROM付録付きの雑誌に”作品”を投稿していました。(自作プログラムでラジオ番組を作って投稿してた黒歴史が今日のPodcastに繋がっている)

高校生の頃、インターネットプロバイダがついに市内にやってきて、テレホーダイを使ってGoogleが君臨する以前のインターネットの海にこぎ出して、小さいながら自分のホームページ(敢えてWebサイトとは言わない)に自分の作品(黒歴史)を載せた時の感動は今でも良く覚えています。

それからライフハックブログを始め、Twitterというネットワークによって今の形態に至るまでは約10年(1997年ー2007年)、僕はインターネットという海の中にぽつんと浮かぶ陸の孤島で、時々訪れる気心しれた人達だけに知られる形で、ただ楽しいからという理由で石板を刻み続けていました。

だから、ブログやSNSといったモノと出会ってから後も、僕は何かを発信する事に対して「見返り」や「メリット」について考える事無く、今もただ楽しいからと言う理由だけで発信を続けています。

書き続けた記事や動画/音声が年輪を作り上げる

この15年ほど、僕はブログからはじまり、Youtube/Podcast/Newsletterなんかで僕の考えた事や、感じたこと、やっていることを発信し続けています。自作プログラムや音楽、CGではなくなりましたが、自分にとってはこれらも立派な”作品”です。

最近ふと動画や記事を見返してみたのですが、続けてきて本当に良かったなぁとしみじみ感じ入りました。あの頃の自分はどう考えていてたのか、どう苦境を乗り越えたのか、今の自分はあの頃よりも成長できているのか。かつてのアウトプット達はそんな僕の問いに明確な答えを与えてくれます。

続けてきた記事や動画、音声の中にはかつての自分がいて、時には勇気を貰い、時には謙虚さを思い出させてくれ、今の自分がかつての自分が歩んできた道の先にいることを強く実感することができるのです。

ただ楽しいからと続けてきたアウトプットはいつしか年輪を形作り、それが今の自分にとってかけがえのない財産となっていることに気付かされました。

常にそこには未知なる未来へ挑む自分がいた

年輪の中に刻まれた記憶をひもとけば、僕はかなりの高頻度でしんどい方向に突っ込んでいって不安に押しつぶされそうになっていて、そりゃ「Beckさんはなんか生き急いでる感じがする」と言われるよなと身につまされます。

ただ、いつでもどんなときでも、未来がどうなるかなんてわからないわけですし、新しいことに挑戦するなら不安と向き合いながら挑んでいくしかないわけです。常にしんどそうというのは裏返せば、常に挑戦し続けられている人生ってことなのだ・・という事にしています。

今の自分から見れば「過去の自分の悩み」は「今の日常茶飯事」だったりするんですが、それはかつての自分が大きな不安を乗り越えてきたおかげで「日常茶飯事」と感じられるようになっただけのこと。

新しいことに挑戦するなら不安を覚えるのは当然で、今までもそれを乗り越えてきたし、失敗をしてもそこから這い上がってやってきたし、今回もきっと大丈夫。そんな風に年輪の中の自分が励ましてくれています。

さいごに

別にこのためにブログやYoutube、Podcast、Newsletterを続けてきたわけではないし、これからも「見返りやメリットを求めない」スタンスを変えるつもりはありません。

ただ、今回アウトプットを続けてきて良かったなと思えたことについては、難しいこと抜きにして喜んでおきたいと思います。過去の自分、グッジョブやで。

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