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Good bye our Hero!

スティーブ・ジョブズが亡くなったというつぶやきを朝ツイッターで見掛けた。以前にも誤報が流れたことがあったので「きっと誤報だろう」と思っていた。

しかし、誤報であって欲しいと願っていたその情報は紛れもなく真実だった。

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普段はあまり仕事のことをBLOGには書かないのだけど、今回はどうしてもこの恩人にお礼を述べるためにこのことを書かなければいけない。

■仕事はシステムエンジニア、夢は未来を作ること

Programmer avec SPIPProgrammer avec SPIP / romytetue

僕は今あるメーカでシステムエンジニアの職についている。メーカー系SEというのは、一種の業界用語で「自社でサーバーを製造している会社のSE」という意味で、別にサーバを作っていない会社のSEとやっている仕事に大差があるわけではない。

これまで6年と半年、今の会社でやってきた。システムのインフラ部分を構築したり、大規模なウォーターフォールモデルの開発にも従事したりというキャリアを経て、今はシステムやソリューションの企画・提案をやっている。SEとしてはそれなりに色々経験させて貰えてる方だと思う。

僕がやっているシステムの主な顧客はモバイル業界なので、もしかすると当ブログをお読みいただいている方の中にも、僕が構築に携わったシステムによって提供されるサービスをお使いの方もいるかもしれない。

これまでの仕事を振り返ってみれば、僕一人の力はちっぽけだったけど、多くのすばらしい仲間と共に文字通り幾多の困難を乗り越えながら、夢であった「未来を切り拓く」仕事の一端を担えた。反省すべき事も山ほどあるが、僕はこのことを心から誇りに思っている。

よく「(物書きとして)フリーにならないのか?」と聞かれることもあるのだけど、僕にとって最も重要な事は未来を創ることであり、感動を創ることである。くり返すが、僕は自分の仕事に誇りを持っている。故に僕が今の仕事を辞すときが来るならば、他に僕が心の底から誇りに思える僕のやるべき事を見つけ出した時だと思う。

■夢のはじまりは1975年のシリコンバレー

以前にも書いたかもしれないけど、僕が明確にこの業界を目指すようになったのは中学生の時に「新・電子立国」というNHKのドキュメンタリー番組とその書籍との出会いである。

特に僕に強烈なインパクトを与えたのが番組では第5部、書籍では1巻でコンピュータ・・特にパーソナルコンピュータが生まれ今日に至るまでのストーリーだった(とはいえ当時はWindows95の時代だったのだけど)スティーブ・ジョブズは取材を拒否したとかで、インタビュー映像はなかったのだけど、ウォズとジョブズのダブルスティーブがアップルコンピュータを創業した時の逸話はコンピュータ少年の僕の心に深く突き刺さった

二人はパソコンをつくって売る会社を設立しようと合意したが、手元に資金がなかった。そこでジョブズはフォルクスワーゲンのバンを売り、ウォズニャックはヒューレットパッカードの電卓を打って一三〇〇ドルを捻出した。会社の所在地をジョブスの実家のガレージに起き、社名はジョブスがアルバイトをしたことのあるリンゴ園から「アップル」とした。一九七六年(昭和五一年)、年下のジョブスが社長になり、年上のウォズニアックが副社長になった。

二人が参加していたアマチュアコンピュータ愛好家の集まりホームブリュー・コンピュータ・クラブは1975年3月に産声をあげた。第1回の会合が開かれたのはシリコンバレーのメンローパークにあるゴードン・フレンチのガレージ。パーソナルコンピュータの黎明期とも言えるこの時代の風景に思い浮かべるだけで僕の胸は熱くなった。

新・電子立国を見る前からコンピュータに興味があった僕は、完全にコンピュータの魅力に取り憑かれた。僕にとって憧れの地はシリコンバレーで、尊敬する人はスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツ、将来の夢はコンピュータのエンジニアになり、将来的にはジョブズやゲイツの様にコンピュータ関連の企業を創ることになった。

Windows3.1のコンパックプレサリオCDS520という一体型PCを中学校の入学祝いに買って貰い、Visual Basic2.0を誕生日プレゼントにねだって買って貰った。1995年当時、大阪の片田舎に住んでいた僕の周囲にPCを持っている人は殆どおらず、PCが趣味だと言うとそれだけで「オタク」扱いされたが、そんなことはお構いなしだった。

■憧れのApple製品

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僕が中学生の頃、すなわち1995年〜1998年と言えば、ジョブズがAppleに復帰し、程なくして暫定CEOになったころである。こういったジョブズの動静はインターネットがなかった当時の僕の情報源で有ったPC雑誌のホットトピックとして扱われたいた。そして1998年、iMacが発売され一大ブームを巻き起こし、更に2001年のMac OS XとiPodの発表は相当にセンセーショナルな物だった。2007年のiPhoneが発表されたキーノートを見たときの衝撃は今でも忘れられない。

Apple製品は僕にとって憧れだったのだが、資金的な問題や大学のレポートや論文、更にはプログラミングのバイトなど様々な要因があって中々購入できずにいた。実際の所、2006年にiPod nanoを手に入れ、2009年にiPhone3GSを手に入れ、憧れのMacを手にすることができたのは2010年4月のことなのだ。

はじめてPCを手にした1995年当時から実に15年。Mac Book Proを手に入れた僕の胸は躍っていた。荷物が届くのが待ち遠しくて仕方なく、箱を開ける時は胸が高鳴りっぱなしだった。iPhone3GSを買ったときもそう。パソコンやケータイを買ってワクワクするのなんて、本当に久しぶりの事だった。

■彼はパーソナルコンピュータという物語の主人公だった

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アップルファンならずとも、コンピュータというものが好きな人の多くがこう思うのではないだろうか。

もしもジョブズがいなければ自分の人生は全く違うものになっていただろう

僕はジョブズの事を神と表現することが嫌いだ。確かに神がかっていた出来事が沢山有るかもしれないが、それらは彼という人間が成し遂げた偉業で有り、彼が神だから成し遂げれたというわけではない。それと同時に、彼の功績の”全て”が彼一人の力で成し遂げられた訳ではないからだ。

彼が生きた1970年代に彼や彼の仲間、そして同年代のコンピュータフリーク達がパーソナルコンピュータという新しい世界を切り拓いた。ジョブズとウォズが作り上げたAppleⅡも、ジョブズが(色々すったもんだがあった上で)作り上げたという初代Macintoshも触ったことはないけれど、これらのプロダクトが作り上げた文化の上に僕らの時代のパーソナルコンピュータが存在する。

僕は不幸にも1975年のシリコンバレーにはいなかったが・・・彼らの作り上げたプロダクトや文化、そこから多くの人々が情熱を注いで磨き上げてきた技術があったからこそ、コンピュータを知り、好きになり、手に入れることができた。そして、彼と彼の仲間達の物語を知ったからこそ、僕はこの世界に入るための努力を積み重ねることができた

ただ、一つだけ言えることはスティーブ・ジョブズという人物がそこにいたということ。そして、パーソナルコンピュータという壮大な物語の中で、ひときわ異彩を放ち、圧倒的な存在感と魅力を持つ主人公としていつも僕らの目を釘付けにしていたと言うことだ。

だから、僕は敢えてこう表現したい。スティーブ・ジョブスは僕にとって・・そして恐らくはこの記事を読んでいる全ての人にとって、HEROだったと。

■イノベーションの火を途絶えさせてはいけない

firefire / matthewvenn

最後になるが、僕が今日エンジニアとして決意したことを述べておきたい。

僕はこれまで自分の生き方に色々な迷いを持ってきたのだが、今日ここで確かなことが一つ出来た。

それは、僕はこれからもイノベーションを起こす側・・少し表現を変えれば未来を創る側で有り続けたい、ということだ。そりゃ、スティーブ・ジョブズみたいな大変革は起こせないかも知れないけど、彼に憧れたここまでやってきたわけだし、それは少なからず社会に影響を及ぼすことなのだ。

だから、僕は自分のやっていることに誇りを持ちたい。
そして、もっと知識を付け、能力を磨き、未来を切り開けるようになりたい。

僕は1975年のシリコンバレーにいなかったが、それはなんら不幸なことではない。先人が切り拓いた世界と、築き上げた文化、磨き続けた技術を継承するのは他ならぬ今を生きる僕らなのだ。そして、僕らもまたイノベーションを続け、世界を一歩でも二歩でも先に進め、次世代につないでいかなければいかないのだ。イノベーションの火を途絶えさせてはいけない

■最後に

ジョブズの訃報の衝撃は予想以上に大きかった。ショックで何も手につかなかった。

しかし、この哀しい出来事はこれまで僕が彼から受けてきた影響の数々を思い出させ、そして本当に自分がやりたいことは何かというとても大切な事柄について考える機会を与えてくれた。となれば、僕が天国へと旅立つ彼に贈る言葉は「ありがとう」以外にはあり得ないだろう。

■おまけ:座右の銘

僕の個人名刺の裏にはジョブズが2005年にスタンフォード大学で行った伝説のスピーチの次のフレーズが印刷されている。まだまだ迷うことが多い若輩者だが、自分が成し遂げるべきことに最大限フォーカスできるようこれからも励みたい。

most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

最も重要なのは、心と直感に従い勇気を持って行動することです。心と直感は、あなたが本当に成し遂げたいことを識っているのです。だから、それ以外の全ては二の次でかまわないのです。

参考文献

個人的にオススメな2冊。もうすぐ本人公認の自伝が出るらしいので、そちらも期待。

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