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Creativeに生きたいと思うこと

お題目ではない。
僕は「自分の人生をCreativeに生きたい」と思っている。
Creativeに仕事して、Creativeに生活して、Creativeな趣味を持って
Creativeな人生を過ごしたい。
僕にとって、何かを創り出したいという願望がいつも心の奥底にあった。
少し回顧してみよう。
僕がそう思い出したきっかけは
多分次の5つのピースだと思う

  1. マンガ ドラゴンクエストへの道
  2. マルチメディアPCと『春よ来い』
  3. 新・電子立国日本
  4. TECH Win
  5. インターネットとテレホーダイ


なんのこっちゃと思うかも知れないが、今思い返しても、僕の人生を決定づけたものをこれらのパーツだった。
1.マンガ ドラゴンクエストへの道

滝沢 ひろゆき
スクウェア・エニックス ( 1990-02 )
ISBN: 9784900527263
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

もはや古すぎて本屋さんでは買えない。
この本は小学校低学年だった僕の人生を大きく変えてしまった。
天才プログラマー 中村光一
シナリオライター  堀井ゆうじ
漫画家       鳥山明
作曲家       すぎやまこういち

小学生当時の僕にとって、彼らが世界で一番カッコイイ存在だった。ドラクエを知らない子供はいなかったんじゃないかという位、凄い人気だった。このマンガを読んで分かったこと・・・コンピュータを買って、プログラムが組めるようになればゲームが作れる!!よく分からず、僕はコンピュータに興味を持ち、プログラマーという職業に憧れを持った。
時代は1990年代前半。バブル崩壊などドコ吹く風だった。あの頃の僕は、自分は絶対に凄いゲームを作れるようになると信じて疑わなかったし、見よう見まねで家に転がっていたMSXでプログラムを組もうと奮闘しては、全く意味が分からず挫折を繰り返していた。

2.マルチメディアPCと『春よ来い』

時は流れて1995年頃(中学生になるころ)、所謂DOS/V革命が起こる。Compaqが切り開いたのか、富士通が起死回生の策として行ったのか・・・当時の僕には知るよしもなかった。
PC-98Multi CanBeが40万円程度の値付けを行っていた頃、FM-Townsに見切りを付けた富士通がDOS/VパソコンであるFM-V DeskpowerCを20万程度で発売。それよりも少し前に、世界№1のPCメーカと言われたCOMPAQが名機Presario CDS 520で持って閉塞した日本市場にくさびを打ち込んだ

僕は黒船Presarioを10万円で購入した。胸が高鳴った。config.sysもAutoexec.batも本を読みながら覚えた。PCがぶっ壊れた時は英語のDOSと戦った。結局はHDDのパラメータをむちゃくちゃに設定してしまい、物理的に破壊してしまうのだが・・・そんなことを素人の僕でもやらせてくれるぐらい、当時のPCは何でもありだった。(そして、Compaqの営業マンさんは無料でうちまで出張をしてくれ、HDDを初期不良と言うことで交換してくれた。テレサポのお姉さんは僕にCMOSクリアのやり方を教えてくれた
当時、中学1年生はじめて買ったPCはWindows3.1のDOS/Vパソコン。買って2週間でOSを破壊し、苦闘1週間でHDDを物理的に破壊した。しかし、その経験で、少々のトラブルには動じなくなったし、相当PCにも詳しくなった。英語版のDOOMなどを日本橋でんでんタウンで仕入れて来ては英語DOSモードに切り替えて遊んだりもした
・・あ、でなんでマルチメディアPCと『春よ来い』なのかというと・・・
当時のPCはCD-ROMドライブを搭載しはじめ、動画や音声などリッチなメディアを”再生可能”なデバイスとして”マルチメディアPC”とはやし立てられていた。PCが欲しくて欲しくてたまらなかったbeck少年は、小学校5年生頃から、色々なPC売り場に現れてはPCをさわりまくり、妄想をふくらませていた。
その時に強烈に残っている印象のひとつが、憧れの98Multi Canbe上で再生されるユーミンの「春よ来い」の映像。当時、見たこともないような美しい映像(なんせファミコンが16色、スーファミは同時発色256色の時代だ)、CDで音楽を再生するだけでなく、美しい映像まで流れるのだ。

強烈なインパクトを与えられた。1677万色、800×600、ステレオスピーカー。それらの表現力を余すことなく利用可能なマシンとCD-ROMという媒体の存在。
そして、奴が登場する。
Windows95、だ。

3.新・電子立国日本

Windows95の登場からしばらくして、NHKスペシャルで「新・電子立国日本」が放映された。そこに映っていた世界・・・それは
Windows95の成功で一躍世界一の富豪になったビル・ゲイツ
圧倒的なエネルギーを持つシリコンバレーの起業家達

だった。カルチャーショックを受けた。
あまり知られていないと思うが、地味に産声を上げたばかりのGoogleも取材されていたのだ。まだ、日本ではYahoo!Japanが手でディレクトリサービスを作り、ロボット検索と言えばInfoseekかExciteかみたいな時代に、まだ無名のGoogleに目を付けたNHKのクルーは凄い
そして、僕の人生は大きく方針転換をする。
目指すべき方向はゲーム製作ではない。
僕はソフトウェアの会社を創るんだ。
何と影響を受けやすい・・・と笑われるかもしれないが、かまわない。コンピュータが大好きな少年にとって、新・電子立国日本で放映される内容はあまりにも刺激的だった。ビル・ゲイツは僕にとって憧れの存在となったし、シリコンバレーに興味を抱き始めたのもこのあたりである。
そして、僕はコンピュータの専門家やゲームプログラマーを目指すのではなく、経営とITという2つのキーワードに注力することに決めたのだ。なんせ、ソフトウェア会社を創らなきゃいけないんだからね(^^)
4.TECH Win

新・電子立国日本は僕の人生を決定づけた。しかし、それと同時に僕にとって人生のキーワードともいえる「Creative」に出会うきっかけを与えてくれたのはASCII社刊行のTECH Winという雑誌であった。
この雑誌の凄いところは、CD-ROMが付録で2枚ついていて980円という価格設定だったところ。当時インターネットやパソコン通信が高値の花であったころ、オンラインソフトや草の根クリエイターとの接点はこの雑誌が中心だった
TECH Winには読者投稿コーナーがいくつもあり、幾人もの草の根クリエイターがそこで活躍していた。特にDigital Ironmanというコーナーでは賞金が設定されており、かなりハイレベルな作品が投稿されていた。
僕も見よう見まねで絵を描き、音楽を創り、プログラムや小説を書いた。絵はからっきしだったが、音楽はそれなりにちゃんと理論は学んだので、なんとか聴けなくはない音楽作品を創れるようになった。結局どれも今一だったけど、プログラムだけはその後の人生で役に立った。なんせ、今は本職SEなのだから。
いずれにせよ、この雑誌との出会いによって、僕にとってのPCは表現の道具になったし、草の根クリエイターの存在は大いに刺激になった。その頃に創ったH&Sというサークル的なものは、全国8名ぐらいの人達と文通ならぬ、FD通(フロッピーディスクを郵送で送りあっていた)という形式を取っていた。

”H&Sは老若男女プロアマ問わず、作品を創り発表したい人を募集いたします!”

そんなオタク中学生男子の呼びかけに8人もの人が集まってくれた。(その内2名は今でも連絡が取れる)H&Sはクリエイター集団という触れこみであり、この後インターネットに活躍の場を移して行くことになる。
5.インターネットとテレホーダイ
インターネットの黎明期は、テレホーダイとの戦いこそ全てであった。それは午後11時前後のせめぎ合い(乗り遅れると、混雑のためしばらく接続ができなくなる)と、睡眠時間との戦いであった。
時は1999年、インターネットバブルの頃。あの頃のネットは何でもありだった。変なホームページはいっぱいあったし、もっとわかりやすくアングラや著作権モノのコンテンツが氾濫していた。(OFF SPRINGの「All I want」を聞いて「Doooraemoooon」と叫ぶ人がいたら、大体この時期にインターネットをはじめていたと思われる。)検索サイトはクソで、ディレクトリ型のYahoo!に掲載されることが唯一トラヒックを爆発的に増やす方法だった。
受験という山があったりもしたのだが、この時期の僕は精力的に活動していたと思う。メルマガ「ゲームを作ろう!みんなで作ろう!」を発行し、H&Sのホームページを設置し、自分個人のサイトではへたくそな曲や3DCG、ゲームを公開していた。今でも当時公開していたゲームはVectorからDL可能だ。
痛快! 爽快! 愉快! 後悔! にゃっぷくぷR1.6
音楽であればこのblogにも過去載せている『Mr.Littlewing』(自作曲)だけが唯一音源の残っている作品となる。
まぁ、ショボい。ショボいが高校3年生が受験の片手間に作ったものなので大目に見てもらいたい。
こういった活動を暫く続けていたのだが、大学2年生の時に2年半つきあった彼女に振られたあたりからちょっと方針転換を始めていた脱オタクということで、こういった活動から距離を取ってしまったのだ・・・。大学2年生からはバイトやコンパに励みだし、3年生からは車にのめりこみ、4年生はバレーのコーチをしていた。
ただ、それでもITと経営というテーマのもと、大学では経営学を学び、情報処理の資格を取得した大学2年生から3年生の間はサポセンでプログラマのバイトをしていたし、そこを止めた後も時々ホームページ製作のバイトなんかをやったりした。自宅サーバでASPを使ってサイトを構築し、DDNSで公開したりもしていた。
そして、無事所謂大手とよばれるメーカに就職をし、上京した。職種は以外にも営業ではなくSE。周りは理系院生ばっかりだったけど、負ける気があまりしなかった。SEとして4年働いたが、ここに来て思うことがあった。

僕の今の生活は果たしてCreativeか?

答えはYesであり、NOでもある。
僕は今、会社で1日中PCを使って資料を作ったりしているのだが、家に帰ってからはCre-Pa!の製作を行ったり、このblogを書いたりもしている。それ自体はなかなかにCreativeな生活なのかも知れないが、僕はもっとCreativeになりたいと切望している。。
今の僕の仕事はどちらかと言えば型にはまっている。もっと面白いことが出来るはずなのだ。僕らは持てる資源をもっとフル活用すれば、今の過去からの延長上みたいな仕事以外にもっと新しいことができるはずなのだ。アイデアはないわけではないが、それを実現するための道筋が立てられていない。
そして、未だ起業への夢は諦めていない。かつてH&Sで出来なかったことをCre-Pa!で成し遂げ、そこから一気にビジネスへと発展させていきたい。
僕の人生はコンピュータと、そこから生み出されるCreativeによって大きく方向付けられた。まだまだ道半ば、よりCreativeな人生を送れるように頑張りたい。

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