「日に新たに、日々に新たなり」
一つだけ座右の銘をあげろといわれれば、躊躇なくこのことばをあげたい。
中国・商時代の湯王が言い出した言葉で、
「今日なら今日という日は、天地開闢以来はじめて訪れた日である。それも貧乏人にも王様にも、みな平等にやってくる。そんな大事な一日だから、もっとも有意義に過ごさなければならない。そのためには、今日の行いは昨日より新しくよくなり、明日の行いは今日よりもさらに新しくなるように修養に心がけるべきである」
という意味。
湯王は、これを顔を洗う盤に彫り付け、毎朝、自戒したという。
神は万人に公平に一日24時間を与え給もうた。われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今とりもどすすべもない。ただ今日の時間を有効に使うことができるだけである。毎日の24時間をどう使っていくか。
ー土光 敏夫「私の履歴書」「経営の行動指針」
この言葉は、中国古代の殷王朝を開いた湯王が言い始めた言葉と言われている「苟日新、日日新、又日新(まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)」が原典である。
誰に対しても一日24時間という時間が等しく与えられ、それをどう使うかが人生を分ける。分かっているけれど、なかなか一日一日を、一瞬一瞬を大切にすることを怠ってしまう。
土光さんはこうも言っている。
成功の要因は、会社の中での時間中になく、私生活での時間中にあるというわけだ。会社で頭を使ったり努力したりするのは、あたりまえで、大部分の人がそうしているのだ。ところが、家に帰ってからの時間をどう使っているかが、だんだん差をつけてくる。
勿論、プライベートを犠牲にして、仕事に打ち込めと言うことではない。土光さん自身、とても家庭を大事にしていて、プライベートに仕事を持ち込むようなことはしなかったという。
家族との時間や、友人達との付き合いは勿論大切だろう。娯楽も必要だ。しかし、娯楽だけでは成長は望めないし、一日の中に、惰性、暇つぶし、憂さ晴らしのごとき時間というのは存外に多い。そういった時間を如何に成長にあてられるか。
また、どれだけ頑張ったとしても、1日は24時間しかない。努力できる量には限度があり、一気に変わることも、取り戻すこともできない。日々、コツコツ、努力の質をあげながら地道に前に進んで行くしかないのだ。
今日は昨日より新しく、良くなる。明日は今日よりまた少し新しく、良くなる。そういう毎日を繰り返すことができるなら、僕らはきっと今よりもずっと前に進むことができるだろう。
「日に新たに、日々に新たなり」この短い言葉を胸に刻み、「昨日よりは良くなった」と思える様、日々を精一杯に生きて行ければと思う。
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