誰もがインターネットから情報が取り出せるようになった昨今、情報を持っている事自体に何の価値もない・・という論を聞くことがあります。まぁ、確かに持っているだけじゃ意味がないってのはその通りだと思います。
でも、人は何かを考える時には自分が知っている範囲でしか考えられないし、アイデアを思いつくときには自分の持ってる知識同士を括り付けてるだけだから、やっぱり知識ってすごく大事だと思うわけです。
例えば、僕は3GPPが定義するLTEの仕様をそれなりであれば人に説明することが出来るんですが、eNBと呼ばれる基地局とePCと呼ばれるパケットノード感のS1リンクの仕組みを知っているからはじめて、このeNBという装置を管理するために何をすべきか、という事に想いが至るわけです。
勿論、ググればある程度の事は分かると思いますが、その頃にはとうの昔にビジネスとしての旬は過ぎている。だって、誰でも分かる形で解説される情報があるってことは、それが完成されていて、メジャーになっていて、皆が知っているってことですから。
情報が不完全だったり、扱いづらかったりする頃からそれについて知っているというのは十分強みになります。更に、それを使って新しいことを生み出せればもっといい。その為には、そもそもそれについての知識を持っていないといけないし、きっちり体系的に理解していないといけないわけです。
■誰かにとってそれは難しい
もう一つ、そりゃ調べれば誰だってその情報にアクセスできるのはその通りなんだけど、それが他の人に取ってはすごく難しい場合がある。その時に、あなたが知識を持っていて、それをそれなりにかみ砕いて説明できるなら、他の人にとってあなたはとても”有用”という事になります。
自分が得た知識を、分かりやすい形にして加工するってだけでも、実は凄く意味があることだったりします。むしろ、ブログやってる人の大半は、その辺に転がってる情報を自分なりに加工しているに過ぎないわけです。
なんだそんなこと、と思うかも知れないけど、それが誰かの役に立つんなら、 それってやっぱ凄いことだと思うんですよ。あなたがその知識を持っていたから生み出された価値なわけです。
■人が思考し続ける限り知識は決して死ぬことはない
ググれば分かるからうろ覚えでも知っていることが大事・・・というのを否定するわけでは無いけど、それが自分の専門分野や興味分野なのであれば、ググらなくても空で説明できる程度にモノにしておいた方が良いんじゃないとは思います。
僕らが思考して、何か新しい価値を生み出すとき、必ずその材料に知識がある。つまり、人が思考し続ける限り知識は決して死ぬことはない、と、僕は常々思うのです。
■横浜百景No.3:大通公園石の広場
関内と阪東橋の間に伸びる大通公園の一番関内よりにあるのが石の広場。
大通公園沿いの道がいつものランニングコースです。
日曜の昼間なんかは子供連れのパパママが沢山いて、
なかなかにほほえましい情景が広がっています。