残念ながら僕は38になろうかというとこの年まで、何者にもなることはできなかった。いや、正確には何になりたいのかすらよくわからずにこの年を迎えた、というべきだろう。
今、警察のお世話になることがあっても市井のアクシデントで終わるし、凶悪事件を起こしても神奈川県在住の会社員という肩書がつくと思う。(もちろん、お世話になるつもりは金輪際ないのだけど)
平凡なこの人生がこの上なく愛おしい
思い返しても誇れるような実績もそれほどないが、生活に苦労しない程度には稼げて、やりがいのある仕事にも何度となく巡り合い、何より幸せな家庭を持てている現状はとても幸せだと感じている。
仕事で精神面でしんどくなったことは、幸福というにはややへヴィーであるが、そのおかげで僕は何事もない平穏な時間のありがたさに気づくことができたことは人生における大いなる教訓であると思う。
ごく平凡なサラリーマンで、ごく普通の家庭を持ち、テレビに映る美男美女やセレブとは異なる世界線でごく普通に生きている。
しかし、そんな平凡な生活の中で紡がれた思い出の一つ一つは、とてつもなく掛け替えがなく、ただ幸せに満ちている。
もしも今の生活や思い出と引き替えに、類い稀ない才能や誰もが知っている知名度が得られるのだとしても、僕はその提案に飛びつくことはしないだろう。無論、異世界に転生して無双生活を送りたいとも思わない。
こんな僕にでも、笑ってくれる人がいて、心配してくれる人がいて、無償の愛を与えてくれる人がいて、ボロボロになった僕に「あなたは十分に頑張った」と言ってくれる人がいる。そんな人々と出会えたことを幸運と言わずになんと言えば良いか分からない。
全力を尽くしていればどういう結果であっても清々しい
転職をして精神的に参ってしまったが、もしも転職を選択していなければ、僕はきっとその選択を後悔していただろう。自分で選び、その結果苦しみ、僕は白旗をあげることになった。
側から見れば僕の転職は誤った判断に見えるかもしれない、しかし日々不安に苛まれ、薬の副作用に苦しみながらもどこか「自分が選び、精一杯やってダメだったなら仕方ない」という清々しさを感じているのも事実である。
白旗をあげることは簡単ではなかった。自分の弱さを認め、張子の虎を取り払い、僕の限界はここだと公言すると決断することは、とても怖かった。悔しかった。
周りの人が僕を心配してくれなければ、空元気で無理を通そうとする僕を止めようとしてくれなければ、きっともっと酷いことになっていたのだろうと思う。自分でリングから降りる判断ができなくなっていた僕を救ってくれたのも、タオルを投げ込んでくれた家族であり、友人であった。
僕は何者でもないが、僕が持っているものは何者にも代え難い
この文章を読んだ人はどう感じるだろうか。
何者にもなれなかった僕の、負け犬の遠吠えと感じる人がいても僕は別に構わない。僕は何者にもなれなかったし、ここに書いていることは、いわゆる成功者と言われる人のそれとはかけ離れている。
僕は仕事の中でストレスに塗れているし、アホほど働いている。好きなことはやれている様には思うが、割とブラックで過酷な環境であることは間違いない。しかし、僕は「これが俺の成し遂げた仕事だ」と誇れる仕事を成し遂げたきた自負はあるし、今やっていることも誇れる仕事だ。
しんどくなったからこそ、家族や友人のありがたさに気づくこともできた。ごく平凡なサラリーマンの、ごく普通の家族が送っている日常は、僕にとっては掛け替えの無いもので、何者かになれるとしてもそれと取り替えたいとは思わない。
僕はただのモブだけれども、とても幸せなモブだ。全てが順調で全てが幸福だとは言えないが、それでも僕は自分の生きてきた人生を幸福であったと思うし、これからもそうありたいと願っている。僕を生かしてくれた人々に感謝し、共に過ごせる時間を大切に生きていこうと思う。
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