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リアルとネットの境界線上で「コンテンツは有料の方が面白い」について考えた

 

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奥さんが外出した休日の午前。
息子ちゃんが昼寝を所望したのでを寝かしつける。

30分少々、抱きかかえてゆっさゆっさとやっていると、
すーすー寝息が聞こえてきた。

つい先日1歳の誕生日を迎え、体重も順調に11kgをオーバー。
30分以上抱っこするのもナカナカのものだ。

可愛らしい寝顔を写真に収めたいところだけど、
起こさない様ゆっくり布団に降ろすことの方が重要だ。 

■コンテンツは有料の方が面白い?

無事にミッションをコンプリートして、ふっと一息をつく。
Twitterをチェックしてみると、

「コンテンツは有料の方が面白い」説

なるものが飛び交っていた。 

元となった記事も、批判記事も読んでみて、更にこの説について思考を巡らした記事を読んで「なるほどー」と関心させられたり。

この事に関する是非はともかくとして、かの炎上商法がお家芸の彼にとっては、ちょっとした旋風を巻き起こせたことでニヤリな感じなのだろうなと。

■コンテンツの面白さと有料・無料の因果関係

僕もかれこれ10年ほどブログを書いてきて、商業出版で本を7冊ほど出したことがある身ではあるので、有料と無料のコンテンツの差異に関して言及してもバチは当たらないだろう。

個人的見解は全く面白みはないのだけど「コンテンツが有料か無料かという違いは(或いは価格の多寡は)、面白さと因果関係にはない」である。

書籍に関して言えば、企画会議を通さないといけない、それなりの期間を執筆・校正に充てられる、編集者や編集長といったプロフェッショナルな第3の目が必ず内容をチェックする、デザイナーやイラストレーターによって読みやすさわかりやすさが引き上げられる、書店員という目利きがリコメンドする・・といった、商業出版の受益者達によって品質は底上げされる傾向にある。

しかし、だからと言って「有料の書籍は無料のブログよりも面白い」は必ずしも真とは言えない。やっつけで作られた酷い出来の本もあれば、ビックリするぐらいよく出来た面白いブログ記事もある。

商業でないが故に拘り抜くこともできるし、商業であるが故に予算とスケジュールに縛られることもある。ただ、有償のコンテンツの方が”当たり”である可能性が高くなる、則ち相関関係がある、というのは正しいかも知れない。

そういえば、「有料コンテンツの方が面白い」と言った彼は、明確に「ブログの手を抜く」と言っているのだから、こと彼のコンテンツに関して言えば「有料コンテンツの方が相対的に面白い」可能性はかなり高くなるのだろう。

僕は炎上している記事を目にしていただけなので、彼のコンテンツの是非を評論できる立場にはない。少ないサンプルから言えば、会社員をdisって、転職サイトのアフィリエイトリンクに誘導する彼の記事の何が面白かったのか1mmも分からなかった。

■媒体の性質、アプローチの違い

例えば、紙でも電子でも、書籍というフォーマットは「ある物事を体系的にまとめる」として適している

勿論、ブログで体系的に書くことも出来なくはない。しかし、読者の目に触れる前に数十セクション間の関連や流れを練り込んでから記事を書くというアプローチをブログで取っている人は少ないだろう。

ゴールを決めてから作り込んで完成させる書籍、特定のゴールを定めずに日々書き連ねて行くブログでは、アプローチは全く異なる。アプローチが異なれば、媒体とそこに載せられる情報の性質も異なるのは必定なのだ。

10万文字超の情報を使って知識体系を伝えられる書籍、数万文字を使って一つの主張を論理的に説明できる論文、ある程度速報性や時事性も持たせながら情報をコンパクトに伝えられるブログ記事やメルマガ、それぞれの媒体に良さがある。

困った時にGoogle検索を掛けると、問題を解決してくれるブログ記事にたどり着けることが多い。僕の困り毎の大半は、既に誰かが困っている事なのだ。逆に僕のブログには、かつて僕が困った事への回答を求めに来る人が少なくない。

何かを体系的に学びたいと思ったときには書籍を読む事が多い。ネット上で情報を探すためにも、まずはベースとなる知識・理解が必要になるからだ。

逆に、先端の専門知識になればなるほど、書籍や調査会社のレポート、或いはネット上の論文や標準化団体の勧告など様々な媒体からかき集める必要が出てくる。時には専門家に意見を求めたり、現場の課題から答えをひねり出す必要がある。

解決したい課題、得たい情報、娯楽としての情報収集があり、それぞれに適した媒体を選択するのが一般的であろう。

また、同じコンテンツであっても、人それぞれの課題や趣味趣向で感じ方は変わる。有料か無料かでコンテンツの面白さが変わるというのは、中々に読み手を無視した乱暴な論であると言えるだろう。

■自分のスタンスを確かめる

彼の記事の是非はともかく、その主張が自分のブログへのスタンスを見直す機会となった点については、少し感謝している。

僕はブログを始めてからこの方、徐々に以下の様なスタンスを確立していった。

  • 今自分が出せる最大限を惜しみなく出す
  • 万人受けよりも、顔が思い浮かぶ誰かの笑顔の為に書く
  • 更新頻度を落としても、自分が納得できる記事を
  • 読んでくれた人にとって何らか得るものがある記事を書く
  • 働く同世代(或いは若い世代)の力になれる記事を書く

ブログを書き始めた頃、まだ何の実績も実力も無かったけれど、「ブログの1記事1記事を、書籍の1節を書くつもりで書く」というマイルールを設けた。

理由の一つは、わざわざ無名の一個人である僕のブログを読みに来てれる方々に最大限の敬意を払いたいと考えたから。そして何より、僕にとってブログでのアウトプットが「仕事力を高める素振り」でもあったから、手を抜いたら意味がないのだ。

加えて、大変恥ずかしいことではあるけど、僕には本を書くだけの力があることを証明したいという、思い上がりがあったこともまた事実ではある。

有り難いことに、ブログを書き進める中で、勉強会を立ち上げたり、Web連載や書籍の執筆、雑誌への寄稿や取材のオファーを頂いたりと、得がたき経験もさせて頂いた。仕事との両立に苦しんだ時期もあったが、おかげで仕事のパフォーマンスは劇的に向上した。

また子供が生まれてから、スタンスに次の2点が加わった。

  • 僕がいきなり命を落としても大丈夫な様、子供に遺したい言葉を書き記す
  • 仕事と家事育児で執筆に充てられる時間は限られているので、本当に書きたい事だけを書く

社会に出て11年が経ち、知識と経験の蓄積もしてきた。専門分野と呼べる物もできた。ビジネススキルもそれなりに身に付けたし、実際に仕事で役立ててもきた。

知識と経験が不足していて以前は書けなかったこともあるし、 逆に現場でリーダーポジションで働きつつ育児にいそしむ今しか書けないこともある。限られた時間の中で、それらを形にしていきたいという想いが僕の原動力である

別に彼のスタンスを責めるつもりはない。ブログ等を生業にしている彼と、ライフワークの一環でブログ等をやっている僕とではスタンスが異なって当たり前だとすら思う。(自分の金儲けのためにこちら側をチョイチョイdisって来るのは甚だ迷惑ではあるけど。)

■リアルとネットの間に佇む時間

ふと思ったのは、あるブロガーの「コンテンツが有料の方が面白い」という主張で盛り上がれるという事自体、実に恵まれているということ。

皆とりあえずは生きることに事欠かず、ブログを書いて食えてる人達もいるし、生み出される種々のコンテンツや行動に批評を加えられる。それなりに余裕があるということなのだ。これって結構幸せな事なんじゃないって。

なんてことを考えていたら、息子ちゃんが目を覚ました。

ネット上での出来事に想いを巡らせるのはこの辺で切り上げて、最近動物に興味を持ち始めた息子ちゃんと一緒に動物園にでも行くことにしよう。

リアルな生活時間の中で、つかぬ間に訪れたネット上の「コンテンツは有料の方が面白い」なるオモシロ理論に考えを巡らせる時間。

うん、育児にも少しは余裕が出てきたってことだな。

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参考資料

僕はGiverでありたいと願う。

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