14年ほど社会人経験を積んできて、心から尊敬できる人と何度となく働く幸運に恵まれた。
当然誰と働く場合であっても敬意を持つべきだと思うし、人それぞれに良いところや素晴らしいところがあるので、誰からでも学ぶことはできる。
しかし、自分のロールモデルとして、この人のようになりたいと思えるような素晴らしい人物に出会い、一緒に仕事ができるという経験はそうそうあることではない。
僕にはこれまで3人、この人のようになりたい、こうありたいと思える人、つまり僕のロールモデルとなっている人物に出会うことができた。
僕がもらった大切なもの
ある方は、僕の意識的な限界を取り払ってくれた。もしもこの人と出会っていなければ、僕は「どうせ僕なんて」という殻の中から出ることができず、全く違う人生を歩んでいただろう。
何も出来なかった僕の良いところを見つけ、褒め、そして僕自身の目線を上げる為に、実に沢山の言葉と気遣いを掛けて頂いた。この方がくれた力強い言葉の数々が、僕の意識と人生を大きく変えてくれた。
またある方は、なかなか成果が出せない僕のことを根気強く見守り続けてくれた。失敗も多かった僕を励まして、僕が色々と新しいことを提案すると「やってみよう」と全面的に肯定してくれた。
頭が切れて、人格も素晴らしく、上司かくあるべしと僕が今でもその在り方を強く意識する方である。この方の下にいる間に2回、大きな転機を迎えたのだが・・その度に何故こういったアサインを行うのか、それが僕のキャリアにとってどれ程重要なのかを、本当に僕のことを思って語ってくれた。
そして、最後の一人は、時には厳しく、特には心から僕のことを思いやってくれた、まるで親の様な(実際には兄貴分的な感じ)方である。僕は本当に、この方を心から尊敬している。
僕のことを引き立ててくれ、自由に仕事をさせてくれ、それでいて大事な所をきっちり締めてくれる。生半可な気持ちでこの人には対峙できない位仕事には厳しい人であった。
それでいて、大きな失敗をして精神的に追い詰められていた僕に対して「それ程の想いで仕事に向き合ってくれてありがとう、でもこれは俺の責任だから、これ以上は背負い込まないで」と言葉を掛けてくれ、本当に全ての責任を引き受けてくれた。
僕個人の人生のことを深く考えてくれていて、僕がとんでもない相談を持ちかけたときにも全力で背中を押してくれた。「それが北君の本当にやりたいことだって知ってるから」と、本来なら罵倒されても仕方のない場面で、僕の想いを尊重し、賛同してくれた。僕はこれ程の人を他に見たことがない。
言葉と行動、そして想い
管理職となった今にして思うのは、やはり僕はまだまだ足らないと言うことである。僕の知っているロールモデルに、僕は遠く及ばない。僕には能力も力も無く、仲間はおろか自分の身一つ守れない。
僕は掛けて頂いた言葉の数々の力を知っている。上っ面の言葉尻だけでなく、それを態度や行動に表すことの大切さを知っている。それでも、僕の言葉や行動は、僕が貰ったそれに遠く及ばない。だからこそ、想いの強さだけはいっちょ前でありたいと思っている。
- よく観察し、よく聴き、良きにせよ悪しきにせよフィードバックを心がける
- 根気強く待つことそれ自体のメッセージ性を忘れない
- どんな状況であっても、最後に責任を取るのは自分
- 会社や自分の損得ではなく、その人のためになるかで判断をする
- どんなにその人に想いを巡らせても巡らせすぎるということはない
まだまだ、できていないことの方が多いのが実情だけど、それでもそう在りたいと思わない限り、出来る様にはならないだろう。そして、僕が少しでもロールモデルに近づき、そこで貰ったものを今度は自分が渡す側になることが、ロールモデルに対する恩返しだとも思っている。
最後に
今回触れたロールモデルの他にも、僕のことを心底心配してくれた親ほども年が離れた大先輩や、僕が辛い時に一緒にやけ酒やカラオケに付き合ってくれた先輩や友人達など、本当に沢山の人に支えられてきた。尊敬する人に多く恵まれたというのは、本当に幸せな事だと思う。
感謝してもしきれないほどに、素晴らしい人達と出会い、共に働き、多くの事を教わってきた社会人人生であったと思う。
まだまだ人として、上司として能力も人格も足りていない。想いばかりが空回りしている状況であると思う。これからもずっとロールモデルを思い浮かべ、少しでも近づける様に努力し続ければと心から願っている。
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