おはようございます!月曜朝一に元気を貰えるコトバを紹介するコーナー「月曜の名言」。今回は作家であり、音楽家でもあるポール・ボウルズの名言です。
(私たちはいつ死ぬか)わからないから、
我々は人生を無尽蔵な井戸のように考えてしまう。
だが、すべてのことは一定の回数しか起こらず、
その回数は実際はきわめて少ない。
あと何回、子供の頃のある午後を思い出せるだろうか?
すっかり存在の一部となっているので、
それがなければ自分の人生など考えられない、というある日の午後を。
おそらく、あと4、5回だろう。そんなにないかも知れない。
あと、何回、満月を見られるだろうか?
おそらく、あと20回だろう。
それなのに、われわれは無限に見られると思っているようだ。
何気ない日常って、一見平凡で退屈かも知れません。
でも、家族も皆元気で、仕事があって、飲んで笑って、仕事で失敗して凹んだり、成功を手にして喜んだり。そういう何気ない日常って、凄く残念だけどいつまでも続かないんですよね。
それは、自分の寿命だけの問題じゃ無くて、家族や他人の健康や寿命、事故や会社の状況、社会情勢なんかの外的な理由もあったりします。大切な人が突然この世からいなくなったり、金銭的な窮地に追いやられたりといった理由で、いつ自分の世界から「平凡な日常」が失われるか分からない。
この言葉に触れる度、実家に帰って両親と語らう時間も、休日に奥さんと一緒に近所を散歩することも、大好きな友人達と飲みながら熱い激論を交わすことも・・それらは全て有限で、得がたく、大切な物なのだと思い知らされます。
最期の時を意識して、今を懸命に生きるというのは、その通りだけど少し漠然としています。その感覚をより具体的に覚えるために、今日起こる出来事や、明日思い出す思い出を「限りある物」として捉えて、一瞬一瞬を大切にすることは有効なんじゃないかなと。
是非、今日一日の中で家族とかわす会話や、今日取り組む仕事を「限りあるもの」と捉えて取り組んでみてください。きっと、いつもとは少し違う気持ちで向き合うことができますよ。
それでは、今週も頑張っていきましょう!
参考書籍