懐かしい顔が集った飲み会の帰り道に同僚と話していたとき、
それはふと、口をついて出た言葉だった。
「正直悔しいですよね。目の前にやりたいと思っている仕事があるのにやれなくて、アサインされた人間はやる気がないなんて。それなら、変わってくれよって。やりたい仕事ができないなら、できるところに身を置いた方がいいんじゃないかって最近本気で考えてるんですよ。」
今までは、そういう事を考えても、口に出したことはなかった思う。
自分の事を棚にあげて、環境のせいにしているみたいで嫌だったから。
どんな仕事でも必ず自分の糧になる。
今は我慢の時。
これを乗り越えれば、次こそは!
そんな風に何度も何度も自分に言い聞かせて、
自分を鼓舞し続けてやってきた。
これまで、辛いこともたくさんあったし、 やりたい仕事と実際にアサインされる仕事とのギャップに思い悩んだ時期もあった。僕の希望も適性も、そっちじゃないのにって思いながら、いつも作り笑顔でそれを受け入れてきた。
そして、心の中でとぐろを巻いていたその言葉を口にしたとき、何か心の支えになっていたものがぽっきり折れてしまった様な感覚に襲われた。同僚が皆下車して一人になったとき、電車の中だというのに、泣き出してしまいそうな感情に襲われていた。
僕は一体何をしているんだ?
あと2ヶ月もすれば、東京に出てきて丸9年になる。
夢を抱いて、故郷を後にしたのに、この体たらくかよ、と。
○○○
誰かに必要とされることは、とても嬉しい。
例え、それが僕の希望や適正、人格などは一切意に介さず、ただ手駒としてしか見られていないのだとしても、能力やスキルを評価されること自体は悪い気はしない。
勿論、今まで何度も「こういうことをやりたい!」と声を大にして言ってきた。ある時は勢揃いした事業部員を前に、その時考えていた新しいビジネスモデルを提言したこともあった。僕はこういうことをやりたい、だから、僕に投資をしてくれ、と。
そして、その度に、何度も会社の論理に阻まれてきた。
7つの習慣風に言えば「緊急且つ重要」な領域は全てに優先された。
事実、そうやってアサインされた仕事から学ぶことも多かったし、
自分の社会人としての礎になる良い経験を積めたと感謝もしている。
ただ、ここ2年ぐらいはずっと”良い経験”を積み続けていて、
思い起こせば僕の希望をその時々の上司に聞いて貰う機会も皆無だった。
”それ”が声に出てしまったのは、少し疲れてしまっていたからだと思う。
○○○
自分の好きなことを仕事にしなさいとスティーブ・ジョブスもドラッカーも言っていた。僕も本当にそうしたいと心から願っているし、いつでもそうなれる様虎視眈々と現状打破を狙っている。
でも、他人を羨んだり恨んだりしても結局何も変わんないから、とにかく今は、自分ができることに集中して、努力を積み重ねることにする。チャンスは突然やってくるし、不運は不意打ちを食らわせてくるから、チャンスをモノにして、不運を幸運に変えられるように成長したいところ。
まぁ、要するに腐らず頑張るわ、ってことですな。