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ソーシャルパワーで冬プレイリストを作成した!ーあの冬のファンタジー的サムシング

大学生の頃〜社会人に成り立ての頃(7,8年前)はその時期の曲ばかりを集めたシーズンベストみたいなCD-Rを作って車を運転するときのお供にしていました。特に社会人に成り立ての頃は東京から地元大阪まで何度も往復していたこともあって、こういった自分の好きな曲を集めたCDというのが本当に欠かせなかったわけです。

車にそれほど乗らなくなり、普段音楽を聴くのもiTunes&iPod(後にiPhone)という構成になってからは不思議とそういうことをあまりやらなくなったのですが、ひょんなことから「夏プレイリスト」を作成し、これが中々夏を楽しく過ごすのに役立つことに気づいたわけです。

ほぼ日ベックNo.38−あの夏の日、確かに僕はそこにいた – ほぼ日ベック
スマステーションで懐かしの夏ソングが一杯流れてきてかなりキュンキュンきてしまったので、自分のiTunesに入ってる夏ソングをかき集めて夏ソングリストを作ってみました。後はaikoのカブトムシとドリカム …
夏プレイリスト!

ということで、今回「冬プレイリスト」を作成したのですが、その顛末やらちょっとした冬の思い出やらを振り返ってみたいと思います。

■全ては呟きからはじまった

そろそろ「冬プレイリスト」  が欲しいなと思って

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と呟いたことで、とても親切なフォロワーの皆さんが全力で持ち歌を提供して下さった結果、何だかすげー冬プレイリストが完成した次第です。

■冬プレイリスト!

これが完成の図。恐らくは1990年代に青春時代を過ごした20台中盤〜30台前半ぐらいの方々にとってはなかなかイイカンジの選曲になってるのではないでしょうか。確かにどれも一度は聴いたことがある曲ばかり・・なのに、自分の手持ち曲や記憶ではこれの1/3も埋まらない訳です。(おかげで曲を集める為にiTMSで曲を買いまくる羽目になったわけですがw)

集合知の力、ソーシャルの爆発力を感じずにはおれない一幕でした。

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※ちなみに演歌系でガチで知らない曲はリストに入っていません。。すみません。。

■あの冬のファンタジー的サムシングな記憶

懐かしい曲を聴けば、色々な記憶が甦ってきます。

冬の思い出というわけやないけど、中高生の頃はバレーをしていたので、この時期になるとボールが痛いのなんのって。でも、僕が中学1年の時とかって、まだ旧態依然としてた部活動やったから、殆どボールを使った練習ができなくて、痛くてもボールを使えるのが凄く嬉しかったわけです。ただ、冬の朝練で鉄製のポールを素手で立てる作業はかなり辛かったなぁっと(^^;

高校で出会った仲間とは今でも連絡を取り合っていて、特に年頃なので毎年誰かが結婚するので必ず年に1度は集合します。社会人になりたての頃は年末にみんなで旅行に行ったりしてたけど、今はみんな家庭を持ってなかなか集まれやんこともあって、年末に参加できるメンバーだけで飲み会に参加するという感じです。

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冬と言えば、小学生の頃から家族スキーで信州に行っていたこともあって結構スキーは堪能な方かと思います。高校時代はバレー部仲間で、大学になってからは友人と連れもって、夜行バス2泊3日23000円リフト券付きの貧乏スキー旅行に行くのが楽しみでした。(高校の時は本気でお金がなかったのでもっと格安プランやったけど ^^;)

社会人になってからはボードもはじめて、毎年同期や職場の若手社員でボードに行ったりしてるけど、大分頻度も下がってしまったなぁ・・・。冬ソングの醍醐味はスキー場で聴く広瀬香美だというのに・・。

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これは神戸の生田神社に初詣に行った時に見た舞楽「蘭陵王」。雅楽に併せて舞うその姿はどこか幻想的でもありました。大学時代は神戸とか京都とかめっちゃ遊びに行ってたなぁ・・。ここ数年は大阪に帰省してただけやったから、ちゃんと神戸京都にも遊びに行こう!

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冬の富士山山中湖。当時彼女の奥さんと星を見ようと思いドライブに行ったのですが、富士山五合目の駐車場は残念ながら曇り。そういえば、このリベンジを果たしていないので、今度奥さんをドライブに誘ってみよう。

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冬のみなとみらいは幻想的です。何をするでもなく、少し寒さをこらえながらプラプラとみなとみらいを歩くのが今でも結構好きです。

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でもやっぱり、冬ソングが一番心に刺さっているのは大学4年〜社会人2年目まで断続的に教えていた母校の女子バレー部のことです。

夏の時も書いたけど社会人になってからは、多いときには東京と大阪を月に2回往復しました。冒頭でも書いたとおり、東名高速を一人でひた走る僕にとって自分で編纂したシーズンベストCDがかなり支えになってくれました。レミオロメンの「粉雪」を熱唱して眠気を紛らわせ、中島美嘉の「雪の華」で少し感傷に浸る・・と。

金曜日に仕事を上がって3時間ほど仮眠を取った後に5時間車を運転し、土日の2日間で男女バレー部の練習に参加して日曜日の夜7時に大阪を出る工程です。行きは「あれをやろう、これをやろう、こういった事を話そう」ということを考えながらで楽しいのですが、帰りは 疲れて眠いし、冬だと暗いし寒いしでかなり辛いわけです。

思い出すのは、僕が教えだして3代目のキャプテンのメールが帰る道すがら(だいたい愛知県の刈谷SAあたり)で届いたことです。疲れ果てていた帰り道は、いつもこのメールに勇気づけられました。誰かに必要とされている、誰かに感謝されていることの喜びを教えてくれたのは、彼女であり、彼女らであったのだと思います。

僕がコーチとして参加する最後の試合で、生徒達が書いてくれた腕への寄せ書き(左)と手紙(右)の写真を見ると、いつも胸が熱くなります。彼女らも成長して、今はそれぞれの人生を精一杯頑張ってくれているわけですから、いつまでも僕一人思い出に浸っていてはいけないのですが・・・それでも、今なお目を閉じれば、全力でプレイをする彼女らの姿を思い出すことが出来ます。

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年を取ると言うことは、その分だけ沢山の思い出を得ているという事なのだと思います。

あの日、あの場所で確かに僕らが全力で何かに打ち込んでいたという思い出も、心の奥底で疼くあの時の悲しい思い出も、全てが今の自分を形作る大切な要素なのだろうと今なら言うことができると思います。

音楽や写真というのは、その時々の記憶を想起させる強力なメタ情報です。

是非皆さんも、音楽や写真を振り返りながら、ご自身の思い出を紐解いてみては如何でしょうか?

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