近頃公私ともにアウトプットの量が落ちている。
あるいはこのアウトプット量が僕の実力なのかも知れない。
ここ2,3年ほどは、あれこれ手を出しすぎて首が回らなくなる状況であったのだけど、常に切羽詰まっていたことによってそれなりにアウトプットは出せていた。あの生活は正常とは言いがたく、犠牲にしたものが多すぎた。
しかし、そういった状況の変化以上に、自分の中に何かつっかえているものがある気がしていて、それでいてそれが何か分からずにとてもモヤモヤした気持ちになる。
それは普段の生活の中でどこか歯車があわない違和感であり、アウトプットが出せないことに対する焦りであり、もしかすると今輝いて見える人達に対する嫉妬や羨望の類であるのかもしれない。必死でもがくのに、まるで泥水のようにまとわりつくばかりで思うように前に進まない。
時間が刻一刻と過ぎる中、僕はただ焦りを強くすることしかできずにいた。
■手帳を介して自分の心に問いかける
手帳を介して自問自答を繰り返した。
自分が行きたい方向はどこなのか?
今の自分はそちらに向かえているのか?
自分は精一杯頑張れてるのか?
今のままで本当に後悔はないのか?
本当は自分がどうしたいのか、少し分からなくなっていた。
一体何のために頑張っているのか分からなくなりかけていて、目標もどこか遠くに霞んでいるように見えた。かつてはあれほど強烈に思い描けた未来が、今はどこか遠く感じている。僕はこのまま行けば、恐らく自分の人生に後悔することになるんだろうと強く感じている。
でも、少し分かり掛けてきた。
今目の前の事が上手く回せない状況であることが、僕を酷く近視眼的にしているのだと思い至った。自分が本当はどうしたいのか、どうありたいのかを思い描くことも少なくなったし、そこに至るまでに何をすべきかを考え実行することはもっと少なくなった。
久しく頭の中を外に書き出す作業を行っていなかったことに気づく。日々のタスクで手一杯になって、中長期の目標や自分自身をどうしていきたいかという戦略が著しく欠如していることに気がついた。
■己が未熟な存在であることに思い至る
目標を策定したりそこに向けて前に進んで行ったりすることであったり、日々のやるべき事と自分の将来のためにやっておいた方が良い事をこなしていくタスク管理であったりが疎かになっていた。それによってどんどんと近視眼的になり、目の前にある緊急度が高いモノに反応するだけになっていた。
もっと頑張らないとと焦って目の前のことにばかり囚われている内に、気がつけば随分と遠回りをしてしまっていた、ということなのだろう。頑張らないとと焦っているのに余計に遠回りをしてしまうというのはなんとも皮肉なことだと思う。
しかし、よくよく考えてみればこれまでの人生で「最短距離」で目標に到達できたことなんてそんなになかったよなとも思い至る。思い悩んでその場に立ち尽くしたり、がむしゃらにやってやっぱり全然遠回りだったり、試行錯誤の末なんとかたどり着いたり、結局諦めたり・・実に遠回りばかりの人生を歩んできた。
たまたま調子が良いというか、やっていることが偶々当たって連戦連勝、目標に最短経路で自己最速に到達!みたいな時もあるかもしれないけど、それは長い人生に於ける一瞬のきらめき・ゆらぎの様なモノで、常なるものではない。
考えれば考えるほどに己が如何に未熟な存在であったかを思い出す。
どちらかと言えばいつも自分のやっていることに自信は持てないし、殆どの場面で悩みながら道を選ぶ。まだまだ技術も知識も学ぶべき事も多く、精神的にも未熟でもっとしっかりせねばと痛感する毎日であり、そんな未熟者が多少道をはずれて遠回りをしようとも驚くには値しない。
■人生おおよそが遠回りにつき
つまりは、僕のごとき未熟者にとって人生とはおおよそが遠回りなのであり、焦ってもただ余計に遠回りをしてしまうだけで全く意味が無い。己が無力さ・未熟さを知り、多少の遠回りは人生の糧と受け止めて、その旅路こそ楽しむべきなのだろう。
人生は調子の良いときもあれば悪いときもある。常勝が望めないのであれば、うまくいっている時は目一杯笑って、失敗すれば悔しがって泣いて、そんな風に人生を目一杯謳歌する方が随分と生産的であるように思う。
別に己の未熟さを嘆きたいわけでは無いし、諦めの境地に至ったわけでも無い。出来ないことは悔しい、悔しいから頑張れるし、出来るようになったときにはすごく嬉しい。要はこの「すごく嬉しい」を後何百遍でも繰り返してやればいいだけのことなのだ。
遠回りの人生を歩む僕はきっと退屈することも少ないだろうし、何遍も熱い気持ちを持って物事にあたることができるだろう。未熟者故に、成長する喜びを感じられるし、多少の失敗なんて気にせずがむしゃらに前に進むことができる。
後ろを振り返ればいくつもの季節を歩んできた軌跡があり、その軌跡をたどるにつけて、それが遠回りであったかどうかなど大した問題では無いと思えるようになった。
楽しかったことも、辛かったことも、その時自分がどんだけ頑張れたか、踏ん張れたか、成長できたかで100倍も200倍も良い思い出に変えることができる。そして何より、あんだけ悩んで、迷って、悔しくて涙を流すこともあった日々を乗り越えて、諦めずに前に進んできたという事実が僕に勇気を与えてくれる。
立ち上がり、前に進み続ける限り、
どんな遠回りも失敗も僕らの力となり、支えとなる。
取り敢えずのところ、少し視線を高くして気持ちを落ち着けて、アウトプットが出ない焦りの悪循環から抜け出すことを心がけよう。そして、この成長のチャンスたる遠回りを目一杯楽しんで、人生の糧にしていこうと思う。