人類の歴史をひもとけば、我々は常に触れる情報のインフレーションに晒され続けていることが分かる。
私が子供の頃は、活字の情報を得るためには雑誌や新聞を読むしか無く、ニュースというのはテレビやラジオのニュース番組に流されるモノが最速であったし、そこに載らないものは新聞が最速のニュースメディアであった。
それだって一昔前の人間からすると凄い事で、電信がグローバルに繋がる以前は、他国のニュースが届くためには郵便の到着、或いは郵便網がない頃には行き来する人がもたらす以外に情報を執る手段が無かった。
それが今や世界中のニュースがリアルタイムにネット上を駆け巡り、ロシアで発生した反乱の情報が数分のラグで自分の手元に届くような時代になってしまった。(プリゴジンのテレグラムは流石に理解できないので、それをニュースメディアが英語に翻訳したBreakingが最速だった)
二つの意味でのファストインプット
近頃の自分のインプットの傾向を鑑みると
- ネットニュースやTwitter、Youtubeからの情報摂取が多く、本を読んだり腰を据えて調べ物をする事が減った
- ネットニュースやブログ記事、本を読む時に飛ばし読み(速読と言えば聞こえが良いが)をして大意を理解してそれで満足することが増えた
ネットニュースやTwitterがジャンキーで本がヘルシーなどと言うつもりはないが、短文の情報をより多く接種することになれてしまった結果、単一ソースの長文を読む為の忍耐力が退化したように感じている。
しかし、この傾向は何も私だけでは無いように思う。佐々木俊尚氏の「読む力 最新スキル大全」という本にも次のような一文があった
とはいえ、それぐらい「集中力の問題」に必死に取り組まなければならないほど、21世紀に生きるわたしたちは、飽きっぽくなっている。スマホという手軽な武器を手にしてから、ますます飽きっぽく、注意散漫になり、集中力が続かなくなった。「企画書をつくろう」とパソコンでパワーポイントに向かったのはいいけれど、数分も経たないのに、気づいたらスマホでツイッターを見ている。「いや、これじゃいかん」と再びパソコンに向かうと、LINEの通知がやってきて、ついメッセージを見てしまう。友人から面白そうな動画のリンクが送られてきていて、つい目を奪われ、大笑いしてしまう。
佐々木 俊尚. 現代病「集中できない」を知力に変える 読む力 最新スキル大全脳が超スピード化し、しかもクリエイティブに動き出す! (Japanese Edition) (pp.69-70). Kindle 版.
読書や調べ物だけでなく、あらゆる集中力が散漫になっているというのが本書に書かれている。(散漫になった人間がどう情報と向き合えば良いかは本書を是非読んでみて下さい)
本来なら読書をし、思索に当てようと思っていた時間がTwitterのタイムラインに溶かされているのは間違いなくて、なんとか抗いたいと思うがそう簡単に抗えるモノでもない。
速すぎる摂取を控え、意図的にSlow downする
ニュースメディアは日夜我々にPush通知でニュースを届けるてくれるし、Twitterのタイムラインの程よい刺激は我々を随分とPassiveなものに変えてしまった様に思う。
何かアイデアが欲しい時、何か面白いことがないかを探そうとすると、ついついTwitterのタイムラインを眺めてしまい、実際にそのタイムラインで十分に小さな知的更新が満たされてしまっている。
大量に貯まっているRSSリーダーの未読を減らすために、ヘッドラインを眺めてはドンドンと先に送っていく。たまに興味がある記事もざっと目を通してそれで満足してしまう。
興味がある情報はGoogle検索、Twitter検索(それにまつわるアカウントのフォロー)、Youtube検索を行ってより深い情報を取りに行く。例えば先に挙げた「プリゴジンの乱」の時、Google検索とTwitter検索で情報を探しつつ付け、Breaking Newsアカウント(東欧系、ロシア系)をフォローしたり、詳細な解説を投稿しているアカウントの投稿を読みこんでいた。
さて、この速度重視の情報摂取の先に何が待っていただろうか。
答えは「何もない」である。
勿論、一時的にではあるがかなりリアルタイムに今起こっている出来事を追えていたが、実際問題「それがどうした」という話でしかない。自分の仕事にも、情報発信活動にも何も活かせてはいない。
プリゴジンの乱は流石にどういう情報摂取の仕方をしたとしても活かしようがないが、最近であれば自分が興味があって調べている「Obsidianを使ってどのようにPKMを構築していくか」或いは「PKMを使って如何にアウトプットの質を高めるか」について、色々調べたり学んだりしていることを上手く蓄積できているとは言えない。
これについては自分なりのしっくりくるやり方が確立できれば、それ自体を解説することもできるだろうし、PKMを使ってよりアウトプットの質/量を増やしていくこともできるだろう。
では何故、折角読んだり調べたりした情報や、考えたり試したりした事柄を蓄積できていないのかというと、単純に「記録できていない」或いは「記録する時間も含めてインプットに充てている」からである。
上記倉下さんからのアドバイスでもあるとおり「インプットの量を減らす」事も重要であるし、何よりも「ノートテイキングが同時に出来る速度に落とす」事が重要なのでは無いかと考えている。
インプットをアウトプットに活かすと言うこと
情報発信活動というモノを長く続けてきて、未だに自分が下手くそだなと思うことは「インプットをアウトプットに活かす」ということである。厳密に言えば、活かせていないわけではないが、上手くは活かせていないのである。
どういうことかというと、簡単に言えば自分のアウトプットは表層をなめているに過ぎないということである。或いは有る事柄に対する単一の知識でのみアウトプットを行っている場合が殆どである。
勿論、自分が経験したこと、身体感覚として身につけた知識、考えた事をアウトプットするときはある程度の深さや人には見えないプロセスのがあるわけだが、それらをひねり出すのが「自分の脳」からのみである点に自分の限界があると考えている。
私のメモツールには「思いついた事を忘れないため」の備忘録的な役割はあれど、そこにある情報を有機的に結びつけるとか、日々摂取する情報をキャプチャし、ノートに書き出された自分の知識と有機的に結びつける事はできていない。それが今の自分のPKM・・とはまだ呼べない代物の限界であると考えている。
それでも、自分の脳からアウトプットすべき事柄をひねり出す事はできているので、そこは良しとして、次のステップとしては①自分の脳をノートツールにダンプし、②日々摂取する情報やそこから得た考えをノートツールに記録し、③ノートツールを使って記憶の拡張と思考の拡張を実現する、ことであると考えている。
そのためには、知り得たこと、学んだ事、考えた事などを如何にノートツールにキャプチャしていくか・・を今はアレコレ試行錯誤しており、この試行錯誤そのものもノートツールにキャプチャされるべき事なのだろうとも考えている。
この仕組みを機能させるために自分が取るべきアクションは2つ。
- インプットをノートテイキング可能なレベルまでSlowDownする
- ノートテイキングされた情報を整理/つなぎ合わせる時間を作る(インプットの時間を減らす)
これまでの「より速く、より多く」を脱し「より丁寧に、より深く」情報と付き合っていくべく、今は日々試行錯誤を繰り返しているところである。
さいごに
こちらのツイートで思いがけず多くの示唆を得ることが出来た。もっと積極的に自分が考えている事や取り組んでいることをTwitterに放流してみるのも面白いかもしれない。(TLでの滞留→コールアンドレスポンスへのシフト)
本記事の内容は、まだ仮説段階、試行錯誤段階の事柄なので、是非皆様の取り組みやアドバイス、ご意見等も頂ければなと考えております。お気軽にTwitter等でコメント頂ければ幸いです。
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