「さぁ、困ったぞ。」
半分ほど読んだ頃、こんな想いが首をもたげ出していた。
「どう、書評を書いたものか。」
読み終えてから、その悩みは一層濃くなった。
同学年にして、サラリーマンという身上でブログをやっていて、タスク管理に関する情報発信を積極的に行なっている滝川徹氏(以降、慣れ親しんだハンドルネームのスタオバを使わせて貰う)の処女作である。
ご献本頂く以前から、年齢も境遇も近しいスタオバ氏に対し、個人的に「是非応援したい」という想いを強く持っていた。それだけに、御著書を拝読し、とても困ってしまったのだ。
というのも、この本はどうオススメをすれば必要な人にリーチさせられるか、が非常に難しい本だったからである。
恐らく、美麗秀句を並べたてて、本書が売れる様なレビュー記事を書くこともできると思う。しかしそれは、著者に対しても、本ブログの読者に対しても不誠実である。
故に、敢えて僕は全身全霊を賭して、辛辣とも取れる率直な感想も、良いと感じたところも、そして僕がどの様に本書に書かれている内容を活かしたかについても述べてみたい。
■一物書きとしての率直な評価と感想
この本は、もしも売れたなら、Amazonのレビューで★1つでネガコメが付きまくってもおかしくない本である。反面、著者を知る人、著者の価値観にあう人は★4や5をつけるだろう。(売れる本というのは得てしてそういう傾向にはある)
何故そう言い切れるかと言えば、本書の大半が無名の個人の「自叙伝」だからだ。しかも「気持ちが楽になる働き方」が登場する4章以降まではひたすら”苦悩”が描かれているので陰鬱な気持ちになる。
自叙伝が悪いわけではない。ただ、無名の個人の自叙伝は難しいのだ。よほど珍しい境遇の人でもない限り、無名の個人のストーリーに興味を持って貰うことは至難の業で、その状態から引き込んでいくためには相当な「読ませる文章」が求められる。しかも、本書の場合、中盤すぎるまで”辛い話”が続くのだ。
下手をすると最後まで読んで貰えず、一番大事な結論まで到達できない可能性が高い。
僕が編集であったなら、自叙伝であったとしても間に汎化した「学び」を差し込むよう提言するだろうし、「物語の法則」とも呼べる「ストーリーの波」を作るよう提言するだろう。(特に冒頭の引き込みと、中頃の小さな盛り上がりをもっと要求する)
スタオバ氏の文章は歯切れが良く、読みやすい。技巧はともかく文章を書くのは上手いと思う。そして、彼の明晰な頭脳と、苦難多きキャリアからは「あの頃の僕が至っていなかった」等という回顧以上に、もっと具体的な学びが抽出できるはずなのだ。
御著書はスタオバ氏の処女作であり、現時点で彼はプロの執筆家ではないのだから、そこまで求めるのは酷だと思う。であれば、これは出版社・編集者サイドの問題という帰結になろう。実に勿体ないことだ。
勿論、著者・編集には狙いがあってこの構成にしたのかもしれないが、読み手に伝わらなければ意味が無いというのが、商業出版の宿命である。僕もプロの執筆家ではないが、それでも商業出版を経験してきた人間として、このことを述べる資格は有していると思う。
加えて、結論としては「たとえ非難されてでも、本当の自分の気持ちと向き合い、他人の目線よりも自分の気持ちを優先して生きていくと決めた」という、心屋仁之助メソッドに落ち着き「気持ちが楽になる」のである。
後で簡単に解説するが、残念ながら僕は「価値観に共感できなかった」側の人間である。だから悪い本というわけではない。僕にはあわなかっただけで、あなたにはあうかもしれない。
ただし、「価値観の相違」は悪いことばかりではない。本書を読むことで僕は「アンチテーゼ」が得られ、自らのスタンスや価値観に対して考察を得ることが出来るのである。それは、”著者の価値観や思想が深く刻まれた本”でなければあり得ないことなのである。
■当てが外れる
僕はスタオバ氏と1度しかリアルで会ったことはないが、ブログを拝読して「タスク管理に造詣が深い人」という印象を持っていた。非常に優秀で、スマートで、自信に満ちあふれた人であろうと思っていたのだけど、本書を読んで、その印象は益々深まった。
故に本書には「タスク管理を駆使することでストレスフリーを実現した話」が書かれているだろうと勝手に思い込んでいた。別に誰が悪いわけではない、僕の期待値がそうだったというだけの話だ。
現にタスク管理に関する言及も少なからずあり、著者が効率良く仕事をこなして定時間に帰れるのもタスク管理のおかげである点も書かれている。タスク管理に関する勉強会を開催していることも書かれている。
しかし、いくら読み進めてもタスク管理の手法も、考え方でさえも登場しない。全体の2/3ぐらいを読んだあたりで、ようやく完全にあてが外れたことに気づいた。
ちなみにイド♂さんも同じ所感を持っていた。
さらに追い打ちをかけたのは、結局わたしが期待していたスタオバさんの具体的なタスク管理手法は本書ではひとつも出てこないことです。 本書はタスク管理の本ではなかったのです。
著者が優秀なのは分かった(知っていた)。タスク管理が得意なのも分かった(知っていた)。
しかし、何故、長時間残業が当たり前の会社で、成果を出しつつ一人定時に帰ることができる様になったのかが分からなかった。
組織で働く常として、成果を出す人間には益々仕事が集まるという悪循環がある。組織として残業を減らすためには、個人の効率化だけでは解決出来ない、根深い問題がそこにはある。
全国表彰された「組織としての残業削減」の取組は素晴らしいが、しかしこれはスタオバ氏の「覚醒」すなわち「気持ちが楽になる働き方」には直結していないことが述べられている。
「気持ちが楽になる働き方」は本書に於いて「自らの価値観に沿った行動をする」ことと定義されているが、本書ではそれが「成果は出しつつも、効率良く働いて定時で帰る」というアクションになっている。
様々なしがらみを振り切るマインドの問題も重要であろうが、それ以前に「成果を出しつつ定時で帰る」ための技術も重要なのだ。その技術をクリアできてはじめて、マインドの問題に取り組める。(成果を放棄しないという前提の元であるが)
本書をより多くの人に生かして貰うためにも、次の御著書は技術面にフォーカスしてほしいと願っている。
当面のワークアラウンドとして、技術面での課題克服を目指される方はスタオバ氏のブログのタスク管理に関する記事を読むことをオススメしたい。
■価値観やスタンスを見直すアンチテーゼとして
本書が”著者の価値観や思想が深く刻まれた本”であることによって、読み手が価値観やスタンスを見直すきっかけが得られる点は本当に素晴らしいと思う。
例えば、スタオバ氏と僕の境遇や価値観を比較するとこうなる。
- ス:昔から自信がある ⇔ B:昔はコンプレックスの塊
- ス:昔から仕事ができる ⇔ B:昔は仕事ができない
- ス:弱さを見せれない ⇔ B:いともたやすく弱さを吐露する
- ス:コミュニケーション不足 ⇔ B:コミュニケーションが得意
- ス:成果を出して定時で帰る ⇔ B:時間効率よりも最終成果を追求
境遇面で言えば、僕は社会人に出た当初に出鼻を挫かれている。自分の圧倒的な能力不足を痛感させられ、自信は粉々に打ち砕かれるところからキャリアをスタートしている。スタオバ氏のキャリアスタートと比べると全く冴えない状況である。
その為に、仕事にも打ち込んだし、本を読み、ブログや勉強会と言った自助努力を行ってきた。それでやっと人並みである。今でこそ、それなりの自信と、成果を出せている実感を持っているが、未だ自らの足らざるを痛感するところが大きい。
だからこそ、僕は周囲に甘えることもできたし、頼ることも出来たのだと思う。自分の不足する能力を補うべく、適材適所のマネジメントを行う必要に駆られて、実際にそれができている様にも思う。
反面、上の人から目を掛けて貰ったり、下の人とも仲良くやれたりと幅広い層と円滑にコミュニケーションが取れるのは自分の強みで、恐らく社会人生活の中で身内から刺されたことは殆ど無い。
そして、僕はスタオバ氏があれほど越えるのに苦労した「弱さを見せる」ことに別段抵抗がない人間なので、家庭だろうと個人的な事であろうと、困ったことや大事にしたいことはさっさと上司・同僚に相談して、周りを巻き込んで「しばらく残業できません」みたいな決着をつけてしまう。
僕は妻や子と過ごす時間を人生のトッププライオリティと捉えていて、その為には仕事側で折り合いをつけにかかることも多い。上司同僚も、僕の家庭の平和が、業務遂行上重要であることを理解してくれている。
子供が生まれてから自己研鑽の時間は大幅に削られたが、それで良いと思っている。家庭が1番、仕事が2番、自分の事は3番目なのだ。
ただ、仕事に対する価値観が「新しいことを生み出したい」とか「不可能を可能にしたい」みたいな所にあるので、その為に残業したり持ち帰り仕事をしたりと言うことは厭わない。自分が納得するまでやりたいのだ。
裁量労働という働き方であるが故に、定時で帰ったり、残業したりは業務見合いである。周囲は僕が最終的には成果を出すことを知っているので、別に早く帰ろうが遅く帰ろうが気にしない。
・・・と、自分の状況や価値観をスタオバ氏と比較しながら読んでいたのだが、最終的な結論として「僕は組織にいながら大変自由である」という同様の結論に至ったのである。
■自由の定義は人それぞれ
最初に「価値観が合わない」という感想を述べた。
本書で、スタオバ氏が自由になったとされるのは
「たとえ非難されてでも、本当の自分の気持ちと向き合い、他人の目線よりも自分の気持ちを優先して生きていくと決めた」
からである。そして、その結果「しがらみを乗り越え、成果を出しつつ、定時で帰る」という行動になったのだ。
残念ながら僕はこの境地に至れたとして、きっと「自由である」とは感じれられないだろう。これは著者の価値観があってはじめて自由であり、幸せになれる在り方なのだ。
これは、フリーランスになった人が「組織の縛りがなくなった」「満員電車に乗らなくて良くなった」ことを自由と定義しているのと、本質的には変わらない。自由の定義は人それぞれの価値観に起因する。
家庭のことを差し引けば、僕の仕事において「新しい価値を生み出す」ことと「他人に認められる成果を出す」ことに強くフォーカスしている。その為に必要であれば、自分の時間を、足りなければ家庭の時間を投じることもあり得る。
その為には、自分の感情を押し殺して冷徹を貫く必要もあれば、仲間との調和を大切にしシナジーを生み出すことを重んじる必要もある。社内の雑事で心をかき乱されないために、他人の目線を気にした立ち居振る舞いも行う。
しかしながら、僕はこのことを「不自由である」と思った事はただの一度も無い。
僕のやりたいようにやらせてくれ、社内のリソースを活用させてくれ、足らない部分をチームで補完することができ、家庭のために融通さえ効かせてくれる上司や同僚のおかげで、すこぶる「自由である」のだ。
ここまで来るには、やりたくないことをやらされたり、家に帰れない日々が続いたりといった忍耐の時期もあった。その時期は不自由であると感じていたこともある。しかし、そういった時期や経験を経て、築き上げてきた知識、経験、能力、実績、チームが今の僕を「自由」たらしめている。
スタオバ氏か僕のどちらかが間違っているわけではない。あくまで価値観の違いでしかない。
■最後に
繰り返すが、今回僕は「価値観があわない人」に無理矢理本書を買わせるような美麗秀句で彩られた書評記事を書かないことにした。これこそが、スタオバ氏にとっても、本ブログの読者にとっても最も誠実な行為であると信じているからだ。
本書は「価値観のあう人」にこそ手にとって貰いたい。スタオバ氏の「苦闘」と「覚醒」の記録によって、勇気づけられ「気持ちが楽になる」人は少なからずいるはずだ。
そしてもう一点、価値観の相違が、自らの価値観を省みるアンチテーゼとなることも述べさせてもらった。本書はそれが可能な”著者の価値観や思想が深く刻まれた本”である点についても繰り返し強調しておきたい。
本書が必要な人の手に届くことを、心から願っている。