若い頃は割と本気で
- 苦労は買ってでもしろ
- 自分の限界を超えろ
- 気合いと根性で仕事を終わらせろ
- 死なない程度の失敗は財産
みたいなことを信じていた。
20代はあながちそれも悪くないというか、アサインされる仕事も責任を取るような部類の物でもなかったので失敗時の心労も知れていたし、そもそも知識も経験も足らないのでそれを努力や気合いで補うこと自体は悪いトレードではなかった。
しかし、30代を過ぎてアラフォーに差し掛かってきたとき、今まで「どんな困難でも気合いと努力で乗り越えられた」という成功体験が徒となり、自分が壊れていっている事に気付きながらアクセルを緩めることができずに限界を迎えてしまった。
限界を超えること、がむしゃらに頑張る事を美談にすべきではない
反省点は数え切れないほどあるが、特にクリティカルだったのが次の二点の誤った思い込みである。
- 限界を超えて働き続ければいずれそれが「普通になる」
- 仕事の遅れを長時間労働/徹夜/休出などで補えば良い
若い頃は、伸びしろが沢山有った。長時間労働の一因は自分の能力不足で、知識と経験が増えるに従って、仕事の効率性が高くなった。また、知っていることが増えることで、仕事に対する「不安」や「緊張」が和らいで行った。
しかし、当然のことながらある程度仕事を覚えると、伸びしろは減っていく。限界に挑戦し続けて、永遠に自分のできることを広げ続けることは出来ない。
そして何よりも、時間と体力は有限なのである。無理をし続ける、或いは回復できる量以上に疲れがたまり続ければ、どんな超人であっても限界を迎える。
野球の先発ピッチャーが毎日投げないのは、長時間投げ続けた疲れを取るためであり、投球間隔が短くなると故障するリスクが跳ね上がることは、プロ野球関係者だけでなく一般人の我々にとっても自明のことである。
なのに、こと労働のこととなると、我々は「限界」のことをすっかりと忘れてしまう。限界を超えて頑張る事、がむしゃらに働くことがどこか美談の様の語られているが、実際問題そこにはリスクがあり、美談として状態化を歓迎するような類いの物ではないのである。
40歳を過ぎて体力のマネジメントと回復の時間/仕掛けが重要と気付く
もう一つ、認めざるを得ない厳しい現実が「年を取ると体力が落ちる」或いは「年を取ると回復しづらくなる」という点である。20代/30代までやっていた「限界突破上等のがむしゃらな働き方」でアラフォーに突入すると、文字通り無理が祟ることになる。
もちろん、40代でもエネルギッシュにバリバリ働いている超人の様な人もいるのだけど、そういうチャンピオンデータで持って「やる気の問題」と片付けるのは危険である。もしも自分がそう言うタイプだと思うのなら、そちらに倣うと良いと思う。
特にうつで休職を経験してから後、如何に自分の体力をマネジメントしていけるかが重要になったと感じている。もしも日常的に限界突破するような働き方をしていると、いざという時に「頑張る余地」がなくなって詰んでしまうので、以下の様な心がけを行っている。
- 体調が悪いときの体力をベースラインとして考える
- いざというときの為に体力を温存する
- 明日で良い仕事は明日に回す
- 適度にサボることを自分に許す
- 可処分時間にダラダラする自分を許す
- 眠い時には寝る
僕も日本人なので「常に全力投球」「明日出来ることでも今日終わらせる」「どんな小さな仕事にも手を抜かない」といったことを美徳と感じている。若い頃からワーカーホリックではあったし、時間があれば何か生産的な事をせねばと自分を追い込み、第四領域(気晴らし)を最小化し第二領域(緊急でない重要なこと)を最大化することが正義だと疑わなかった。
それら一つ一つは決して間違っていなかったと思う。ただ、僕はあまりにもバッファーを持つことに無頓着すぎたし、「ダラダラすること」や「睡眠時間」或いは「回復する時間」を軽視しすぎていた。
日常的であれ突発的であれパフォーマンスを発揮するためには、日常的に余力を残すことを心がけ、疲れをなるべく持ち越さないように意識的に回復のための時間や方策を設けることが重要なのだ。それでも疲れは蓄積する一方なのだから、回復のためにやれることは何でもやる必要がある。
- 毎日にんにく卵黄を飲む
- 毎日紅芋酢を飲む
- 毎日6時間以上寝る
- メンタル的に落ちてきたなと思ったら散歩に出かける
- 週に数回瞑想をする(まだ毎日はできない)
- 定期的に整体に行く
- ヤバいなと思ったらサウナやキャンプに行く
などなど。にんにく卵黄や紅芋酢が利いているかは正直よく分からないけど、なんか元気になっている気がするので飲み続けている。頻繁に行けるわけではないけれど、サウナやキャンプなど、自分がリフレッシュできる趣味を持っていることでどれだけ救われただろうか。
さいごに
僕は40を手前にして心身を壊してはじめて、がむしゃらに限界を超えて頑張り続けることの危険性に気付くことができました。勿論、今でも一生懸命に仕事を頑張りたい気持ちはありますし、今も無理をしなければいけない場面がないわけではありません。
むしろ、日々の仕事でちゃんとパフォーマンスを発揮したいから、いざというとき(無理をする必要があるとき)に余力が無くて詰んでしまう事態を避けたいからこそ、余力を残し、先送りをし、サボり、回復の為の時間や仕掛けを意識的に設けています。
責任感があるということは、無理をし続けて潰れてしまう事ではなく、自分の体力の限界を知り、セーブできるところはセーブしつつ意識的に回復しつつ、継続可能な形でパフォーマンスを発揮するだと思います。
Also published on Medium.