いわゆる退職エントリーですが、ネガティブな事は書かないので、ポジティブな退職エントリーなんて読みたくねぇって方はここで離脱をお願いします。
勿論、守秘義務もあるのであんまりツッコんだことは書きませんので、その点も悪しからず。
本当は退職エントリは書かないでおこうかとも思ったのですが、気持ちが整理できないというか、次に向かって歩み出せない感じがしたので、ほぼ自分の気持ちの整理のために書きます。
すでに各種SNSチャネルでご報告差し上げた通りですが、このたび7月11日付けで楽天モバイル株式会社を退職いたしました。
NECからの出向時代も入れると大凡5年、正式に社員となって3年間、他ではできない貴重な経験を沢山積ませて頂き、またみっちり5年間英語で仕事をさせて頂いたおかげで英語力や異文化への適応力などもかなり強化されたように思います。
5年と書くと短く感じるかも知れませんが、楽天モバイル株式会社という会社自体がそれぐらいの歴史であり、古株の一人と言っても差し支えはないかと思います。まぁ、社員としては3年なので履歴書上は「ちょっと辞めるの速くない?」って感じですね。
総じて思うこと
この5年間を一言で表すなら「精神と時の部屋での修行してた感じ」ですね。非常にスリリングでエキサイティングな毎日でした。心安まる暇も無いドキドキバクバクの連続でした。一杯働いたし、精神的にもキツかった。
モバイル事業の立ち上げという大変貴重な経験のみならず、自社開発のOSS(オペレーションサポートシステム)、オーケストレータのアーキテクト、国プロのプロマネ、OSS開発本部の責任者など、約5年の間にとてつもない経験をさせて頂きました。
いくらかネットに成果が転がっているので興味があればご覧ください。主には情報を積極的に公開していた国プロ関係の公開情報となります。
総じて言えば、むっちゃ大変で心身共にボロボロになってしまいましたが、この5年間で得た経験、知識、スキルはとんでもなく素晴らしくかったので、転職したことや困難な仕事の数々に挑戦したことに後悔はありません。
全力を出し切ってなし遂げた仕事は誇りに思ってるし、全力を出し切ったけど届かなかった悔しい想いも今後のバネにして行きたいと思っています。
モバイルネットワークの裏側システム屋冥利に尽きる
先に述べた通り、僕の携わってきた仕事は大きく以下に分類されます。
- ゼロから運用監視系のシステム(OSSのこと)の立ち上げ
- 自社開発のOSS/オーケストレータ製品のアーキテクト
- 国プロのプロマネ(主席研究員)
- OSS開発部門の責任者
いやー、これ運用監視計のシステムをやってきた人なら分かると思うのですが、統合OSSを作るのって永遠の課題的なところがあるんですよ。ネットワークって常に変化し続けるというか、ドンドン新しい技術が入ってきちゃうから運用監視のシステムが乱立しがちなんですね。
それをグリーンフィールドでゼロから統合OSSを組めるって、本当に夢の様な話なんですよ。限られた時間とリソースでやるからそれこそ血を吐くんじゃないかって位大変でしたが、それでもこの仕事に携われたことは本当にエンジニア冥利に尽きるってもんです。
国プロでは英語話者主体のチームを少ない日本人メンバーでまとめ上げ、「E2EスライシングとAIを使った運用の効率化」という非常に先進的なテーマでの研究開発に従事し、プロジェクトを完遂させられたのは我ながらよくやったと思います。
「自分がやりたかった仕事」がそこにあったからNECから転職し、全力でぶち当たって、大成功を収めた部分もあれば、結果力及ばず駄目だったこともあって。自分としては、全力を出し切れたし、限界を超えて頑張ったし、届かなかった部分についてはそれ程悔いは残っていません。
あと、特許書きまくったことで2022年の年間最多出願数を達成したのも個人的には頑張ったことかなと思います。多分、日本では指折りの運用監視&オーケストレーション周りの特許出願者だと思います。
英語が身についたのと多文化の中で仕事ができた
仕事で英語を使いまくったおかげで、中学生英語レベルの単語と文法を駆使して、かなりの瞬発力でやりとりが出来るようになったのは大きな財産です。
凝った言い回しとか、ネイティブっぽい発音とか、プレゼンがうまく出来るとかそういう事は一切無く、言いたいことをなんとしてでも伝えきる能力みたいなモノが磨かれたと思います。アメリカだと「ランゲージバリアーが」とか言われて仕事できないタイプですね。
5年前は単語とホワイトボードを駆使して、毎日14時間ぐらいインドガイズと会議室に缶詰していたのは凄く良い思い出です。向こうも慣れない日本で何とか仕事をやり遂げないとと必死でしたし、こっちも英語しゃべれないけど何とか理解させないとと必死だったので、そういうお互いの歩み寄りのおかげで僕は英語力を、彼らは「何を作らないといけないのか」を獲得することが出来たように思います。
インドにもよく出張に行きました。行く度にすげー歓待されて、そのたびにニヤニヤしながら凄い辛いモノを食べさせられたり、屋台飯をごちそうになったり、すげー甘いお菓子をお土産を貰ったのも良い思い出です。
最初は怖くて渡れなかったインドの道を、インド人と同じようにハンドパワーで車を停めて渡れるようになった頃にはすっかりインドガイズと仲良しになっていました。クルタを着てインドの学生さん達の面接に臨んだらめっちゃ喜ばれました。
仕事は日本文化からはかなり遠かったので、色々と文化的差異に苦労しました。インドの他にも中国系やUS、ユーロなメンバーもいたので異文化間交流としては中々楽しかったです。ただ、日本人は押しが弱いしすぐに謝るので「お前はToo niceだ(お人好し)」とよく言われたモノです。
完全にジョブ型の採用だったので、Job Descriptionをちゃんと書けるようになったのも良い経験だったし、新卒中途採用問わず英語の面接も沢山しました。技術的には話がめっちゃあったんですが、人間性がめちゃくちゃの人を採用してしまって色々苦労もしました。
色んな国の出身者が配下メンバーに何十人といたので、そういうグローバルなマネジメント経験が出来たのも良い経験だったと思います。
さいごに
まぁ、良いことばっかり書いてますが、そりゃもう身体壊すぐらいに激務だし、ハイプレッシャーだし、異文化の中で働くってのは精神的にも結構キツかったです。退職の理由は「心身共にこれ以上は持たなかった」の一言に尽きます。
でも、それを補って余りあるだけの経験をさせてもらって、多くの仲間を得て、最後まで自分の全力を出し切って完全燃焼しきったわけですから、感謝こそすれ後悔など微塵もありません。
NECからの出向時代いれて5年、社員としては3年全力で走り抜けました。「やりたかった仕事」もやれたし、成功も失敗も両方沢山ありました。全力をだして届かなかった部分については、少し休んだ後、次の仕事で取り返していければと思います。
ということで、今回は退職に当たっての想いみたいなモノを述べさせて頂きました。今後の事については次のエントリーで書きたいと思います。
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