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さまよえるBECK、新年の抱負に悩む

あけましておめでとうございます!

もう3日になっちまいやしたが、正月3が日ということで許してください。

新年と言えば、目標を立てて1年の抱負のひとつも述べたいところですが、正直いって「自分でもよく分からない」状態。

目標めいた物が無いわけでもないですし、色々頑張りたい気持ちもある。でも、なんというか自分でも「今年はどんな年にしたい?」という自問に対してもパリッと答えを出せないでいる。

ということで、今回はその理由を書きつつ掘り下げてみたい。(書いてる途中で、これ公開して良いのかなぁ・・と悩んだのだけど、このブログで本音を隠すのはなんか違う気がするので公開します)

さまよえる自らの現状

昨年末までの状況を一言で言えば「超絶仕事一辺倒」な状況。正直毎日終電帰りだった現状で「家庭を顧みている」なんて言えない状況。休み死守したり、ごくたまに保育園のお迎えにいくために仕事をぶった切るのがせめてもの償い。

ブログ頑張りたいっていう気持ちは凄く強いんですが、現状で「もっとブログ力いれて頑張ります」とも気軽に言えない状況。自分の発言に責任が持てない

年々、個人としてのBECKという人格が縮小して、プロフェッショナルな仕事人としての北真也という人格が拡大していく感じ。

勿論、仕事が充実しているのは素晴らしい事で、仕事で人に認められるぐらい成果を出したい、その為に能力を伸ばしたいってのがこのブログの原点だから、それを成し遂げたというのは諸手を挙げて喜びたいやったな、俺。

でも、何故だか満たされない。分、僕はブログを書く事でかつて見えた新たな地平が、現在見えなくなっていることに、どこか喪失感を感じているのだと思う。

喪失感の3つの理由

10年前の2009年頃、書かないと頭がおかしくなりそうな衝動に突き動かされて、僕はブログを書きまくった1本8000文字とか平気で書いてて、そういう記事を取り憑かれたように3日3晩ぐらい書き続けたこともあった。

多分、PV数とかも全然ない時期だったんだけど、徐々に反応がもらえる様になって、当時憧れていたアルファブロガーな方々にTwitter等で取りあげて貰えたりするのが、本当に嬉しかった。

喪失感の原因の一つは、この「書かないと気が狂いそう」という衝動を失ったこと。そしてもう一つ、あまりにも「反応」に対して鈍感になりすぎていること

自分はもうブロガーや著者として、何かを生み出せる人間ではなくなってしまったのではないかという漠然とした不安。ただのスランプだと信じたい、ただ忙しくてそこまでエネルギーが回らないだけ、そう信じないと怖くてキーボードをたたけない。Ulyssesを開く事もできない。

本音を言えば、忙しさを理由に書かないことの方が楽だってことで、多分そっちに逃避していた側面も否めない。本業でわざと忙しくしてるわけじゃないけど、書く時間だって全く捻出できない訳でも無い。

そして、今でも僕の書く記事に色々反応をくれる方々に対して、どこか「当たり前」と感じてしまっている自分がいること。これは自分でも本当に、心の底からクソ野郎だと思う。

僕の記事をわざわざ読んでくれて、その上言及までしてくれる。こんなありがたいことは本来無い。僕が書いた記事を、文章を、誰かが読んでくれたというその事実が分かっただけで、かつての僕は小躍りせんがばかりに舞い上がったものだった。

そして、最後に一つ、喪失感の大きな理由。それは「ブログ記事がバズることも、書籍のオファーを頂くこともなくなった」現状。いや、そもそもバズる記事も、書籍の企画持ち込みもしてないんだから、当然の成り行きなんですけどね。

自分でも自虐的に「俺はオワコンだから」なんて言ったりしている自分が腹立たしい。努力もせずに、昔の栄光にすがっているだけの無様な自分が情けない。

そんな臭い自分に蓋をして「忙しい」を言い訳に「何もしない」という選択肢をとり続けている。そんな自分が喪失感を語るなど、片腹痛いにも程がある。

例えビギナーズラックやラッキーパンチだったとしても

僕のブログのPV数は、最盛期の6分の1ぐらいになっている。理由は色々あるとは思う。SEOが弱いとか、過去記事を整備していないとか。でも、一番の理由は、読まれる記事が書けていないということ。そして、そもそも記事数も書いていないのだから、PV数は右肩下がりで当然である。

まぁ、そもそもバズるのなんて、半ばラッキーパンチみたいなところもあって、自信をもって書いた記事でも全然当たらないこともあるし、適当に書いた記事が当たってボコボコにdisられたりすることもある。

書籍を書くきっかけを頂いたのだって、「シゴタノ!」への寄稿「lifehacking.jp」の堀さんの紹介だったりしたわけで、必ずしも自分で特別な努力をしたわけではない。僕がやったことは、狂ったように書いていたということ。

堀さんの紹介で書き始めたGihyo.jpのEvernote連載が、ビックリするぐらいバズったおかげで、すぐに書籍編集部から書籍化のオファーを頂いた。処女作に関して言えば、完全なビギナーズラック

例えビギナーズラックでも、ラッキーパンチでも、そこには何かしら努力をして、可能性に賭ける行為があったわけで、それが出来ていないのであれば、当然幸運も訪れない。

喪失感を感じるならばやることは一つ

ここまで書いてきて、僕の中でいくつかの問いが生まれた。

  • 今感じてる喪失感はそのままでいいの?
  • もう、このまま仕事が忙しいってことを言い訳にして、ブロガー/著者としてはオワコン気取るだけの人生で良いの?
  • もう、ブログを”誰か一人の顔”を思い浮かべて、むさっ苦しい熱量で狂ったように書くことはないの?
  • かつて誰かが言ってくれた「ベックさんのブログが更新されるの楽しみにしてます」「ベックさんのブログに助けられました」と言ってもらえる様な記事は書かないの?
  • もう、本だしたいとか思わないの?
  • もう一生オワコンクソ野郎なの?

自分宛なので、ちょっと汚い言葉も出てしまったのだけど、これは今の僕が僕に対して感じて居る強烈な不満の現れでもある。答えは否。全て、否だ。このままで良いはずがない。

であれば、狂ったように書くしかない。

それも、短くても良いからただ毎日更新するとかだと足らなくて、兎に角、書かないと気が狂うぐらいまでインプットして、考えて、誰かのことを思い浮かべて、どうすればその人が笑顔になるだろうかって考えて、高い熱量で書かないといけない

10年前の自分が、多少ギラつきながら「ブログの1記事は、書籍の1節のつもりで書く」と言っていたのだから、それに負けないように魂を込めて書かないと、きっと僕は満たされない。

かつて、ある人が僕に投げかけてくれた「勇気を貰った」という言葉をもう一度もらえる日を夢見て、もう一度書籍というコンテンツを自分が世に出す日を夢見て。

最後に

本当は「いやー、最近自分さまよってるわー、目標きまらんわー」ってライトな記事を書くつもりでUlyssesを開いたんですが、1月3日の未明に久々に”素直に感情に従って”書いてる内にこんな内容になってしまいました。

夜中に書いた物は朝見直せ、という金言もありますが今の自分にはこれぐらいの荒療治も必要だろうと言うことで、この記事はすぐに公開したいと思います。

相変わらず今年も仕事はくっそ忙しいとは思いますが、ブロガー/著者としての自分の人格をもう一度取り戻せるよう、熱量高くブログ記事を書いて参ります!

#おっ・・なんか抱負っぽい。


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