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【雑記】理想と現実の乖離を見つめて次の一手を繰り出す

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ここ最近、ずっとモヤモヤした感情を胸に抱いている。
その原因が何で、どうすればモヤモヤが解消するのかはよく分からないのだけど、
大方、自分の理想と現実の乖離に対する苛立ちの一種なのだと思う。

■理想と現実の乖離

社会に出てそろそろ中堅どころになり、結婚して3年が経つ。
年を重ねる毎にいろんな社会的責任を負うようになった。

仕事でも手応えは掴んでいるし、成果も出していると思う。
自分のスタイルも確立しつつあり、辛いけどやり甲斐はある。

時折血を吐くんじゃないかってぐらい胃が痛くなることも
あったし、めちゃくちゃ落ち込んだり悔しくて泣くこともあった 。
でも、そういう日々が自分を鍛え、自信に変わった。

・・・だけど、何か釈然としない。

自分が思い描いていた30歳像にはほど遠い。
本当に自分がやりたかったことに全力で打ち込めているかと
言われると途端に自信が無くなっていく。

惰性で生きている・・もしくは、できることをやっている感覚。
自分がやりたいことというより、ただ会社の中で自分が担うべき
役割を担っているだけという感覚。 

今感じている現実と理想の乖離に対するモヤモヤした感情は、
今の延長で生きていくことに対する警鐘なのだと思っている。

■未来を切り拓くための一手を考える

僕は人生を変えるとか、将来を変えるという言葉があまり好きではない。
日々の生活は脈々と続くものであり、今有る自分はそれまでの積み重ね
で形作られているものであり、それが突然変異を起こしてスーパーマン
に生まれ変われるなんてことはあり得ない。 

物の見方が変わるパラダイムシフトは確かにあるけれど、
あくまでそれは見方・考え方の変革であって、本当に人生が変わるのは
その先にある行動の結果でしかないからだ。

だから、僕は自分の人生を創っていくという言い方であったり、
未来を切り拓くという言い方を好んで使う。

現実と理想のギャップをよくよく観察してみれば、自分がやるべき事
が朧気ながらでも見えてくる。それこそが、未来を切り拓く一手となる。

・本当に自分がやりたいことはなにか?
・なりたいと思う自分と今の自分のどこが違うのか?
・どうすれば”やりたいこと”ができ、”なりたい自分”になれるか? 

こういった自問は単純な分だけ力強い。
恥ずかしさも、見栄も、どうせ無理だという固定観念も捨て去って
真摯に自分と向きあって答えを紡ぐ必要がある。

■自分の役割が持つ責任との兼ね合い

人は社会の中で生きている。
社会との付き合い方は人それぞれだろうけど、確実なことは
僕らは独りでは絶対に生きていけないということだ。

何か新しいことを始める場合、家族や友人の支えや理解、協力が
得られない中で無理矢理押し通す事は良い結果を生まないだろう。

周囲の理解が得られるまで、真摯に向き合い対話を重ねたり、
最短経路ではないルートを選ぶなど解決策を模索すべきだろう。

僕には”やりたいこと”がいくつか有るけれど、奥さんを悲しませたり、
友人達と袂を別ったり、職場の恩義有る上司や先輩方に不義理を
働くことは、”やりたいこと”と同じくらい”やりたくないこと”なのだ。

そんな社会的責任なんて考えてたら何も出来ないよ!

なんて反論も受けそうだし、そういう考え方も一理あると思う。
大きな物を得る為にはリスクを取る必要があるだろうし、
後ろを顧みないことも、しがらみを捨て去る冷酷さも必要だろう。

しかし、実際に何もできないなんてこともないと思っている。

■一朝一夕にはいかない事の方が多い

日々の生活の中で、読書したり、プログラムや英語の勉強をすること
で知識を得ることはできるだろうし、予備校や通信教育を活用したり、
ブログでアウトプットすることで効果を高めることもできるだろう。 

アプリを作ったり、絵を描いたり、音楽を演奏したり、ランニングを
したり・・と、自分の時間の中で自分がやりたいことのスキルを磨き、
なりたい自分に一歩でも近づく努力を重ねることはできる。 

むしろ、こういった類のアクションは、一朝一夕で結果が出る物では
ないのだから、まずはコツコツと努力を積み重ねる必要がある。

また、仕事の中で新しいことにチャレンジしたり、いつもより多く
仕事を引き受けてみるのも良いだろう。(余裕があればの話だけど)

正直なところを言えば「こんな仕事本当はやりたくない」という
気持ちを僕自身も持ったこともあるし、今でも時々はそう思う。

でも、得意な仕事よりも嫌な仕事の方が実は得られるものは大きいし、
自分の限界にぶち当たりながらもがき続けられる環境というのも
同様に大きな成長の糧となる。

身体と精神が壊れるまで頑張らない方がいいと思うけど、
それ以外の事は大抵自分にとってプラスになるんだと思えば、
案外どんな仕事でも前向きに取り組める。

自分と周囲の最善解を見つけ実際に動き出すその日まで、
まずはその環境でやれるだけのことはやっておくというのは、
案外悪くはない生き方だと思う。 

■あれこれ悩みながら生きたって良いじゃないか

あれこれ考えつつ、思いつくままに書いてきた中で僕なりに
落ち着いた答えの一つが

あれこれ悩みながら生きたって良いじゃないか、一度きりの人生だし。 

というもの。
なんじゃそりゃ、と思われるかも知れないけど、つまるところ、
自分の人生について考えるんだから、むしろ悩んで然るべきだし、
自分の思ったとおりに事が運ぶとは限らないなと。 

多分、どこまでいっても理想と現実の乖離にモヤモヤするだろうし、
その都度次の一手を考えて、周囲との兼ね合いの中で先の先の手まで
思いを巡らしながらその一手を繰りだしていくことになると思う。。

それはランニングや英語の勉強の様に歩をひとつひとつ前に進めて
いくことかもしれないし、職を変えたり海外に移住したりといった
飛び道具かも知れない。

そうやって悩みながら少しずつ前に進んで行く生き方はスマートな
物ではないけれど、なんだかいかにも自分らしいし、恐らくはこの
生き方でしか僕は理想に近づけないのだろうなとも思う。

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