【日々考撮:013】世界が変われば距離の感覚が変わる

今から9年ほど前のこと。大学卒業後、就職で上京するために新大阪発の新幹線に乗り込んだ。その日を境に、生まれて22年という時間を過ごした大阪が故郷になった。

今でも覚えているのは、胸の中にただ漠然とした不安が広がっていたということだ。当時も今とそう変わらず、新幹線で2時間半。それでも、故郷を遠く離れ、知り合いも殆ど住んでいない地に行くことに不安を消し去ることはできなかった。

■遠く感じた東京、近くに感じる故郷

9年前に故郷を後にしたとき、僕にとって東京は遠く離れた異郷であった。しかし、9年という時を経た今、故郷大阪をとても「近い」と感じている。当然、当時と今で距離も移動時間も変わらない。

千葉県我孫子市の社員寮を経て、横須賀への”転勤”を機に横浜に住み、それ以来横浜・川崎で9年弱暮らし、仕事でも中堅どころになり、結婚し、家を買って徐々に基盤が強固になっていった。地に足がついて、不安が小さくなるにつれて、冷静に距離が見れるようになったのだろう。

社会人2年目まで、母校の女子バレー部を指導するために月に2回、車で大阪横浜をいったりきたりしていたせいで感覚が狂ってしまったのかもしれない。インターネットが普及し、FacebookやTwitterで遠くの人とつながりを保てるようになったことも要因の一つであろう。

でも、最たる理由は、自分が様々な場所に出向き、様々な経験を重ね、わずかばかりでも自分の見識を広げてきた事なんだろうなと思う。

■世界が変われば距離の感覚が変わる

思えば、子供の頃から、新しい世界を知り、新しい移動手段を得ることで距離の感覚は変わり続けていた。

子供の頃は小学校の校区というごく限られたエリア、そして時折訪れる祖父母の家や、親族の家だけが世界の全てだった。小学4年生にあがると同時に片田舎の町に引っ越し、世界が少し広がった。

中学生の頃には部活で電車に乗って練習試合に行ったり、友達と大阪市内に遊びに行くこともあったけど、基本的には自分の住む町と自転車で行ける隣の市までがテリトリーで、電車に乗っての移動は冒険だった。

高校生になり、電車という移動手段が特別で無くなるにつれて行動範囲が広がった。天王寺やなんばなど、所謂ミナミと呼ばれる範囲ぐらいまではちょっとしたお出かけだったし、大阪府外へも足を伸ばすことも度々あった。

大学生になれば、とりあえず新幹線に乗らずにいける範囲(特急券が不要な難易)は近場という感覚だったし、高校時代に遠くに感じて居た神戸や京都には足繁く通っていた。車の免許を取って以降、世界は飛躍的な広がりを見せ、近畿2府4県は勿論、中国四国中部地方ぐらいまでは「近い」という感覚になっていた。

■広がり続ける世界、縮まっていく距離

交通の便がこの20年で劇的に良くなったわけではないと思うけど、新幹線や飛行機は確かに以前よりも身近に使える様になったし、これらを身近に使える程度に大人にはなった。

最近は仕事でロシアの同僚と絡むことがあったり、仕事や投資のために世界情勢を常に気に掛けるようになったことで、徐々に日本の外へと自分の世界が広がっている様に感じている。

新たな場所へ赴き、新しいことをはじめ、新たな交通手段を得、今まで経験したことがないことを経験し、不安を克服し、心配事をクリアーにしていく度に、世界は広がりつづけ、距離は縮まっていった。

9年前、不安に押しつぶされそうになりながら大阪を後にした自分に何か言ってやれるなら、きっとこういうことを言うんじゃ無いかな。

今は不安しかないかもしれないが、思い切って飛び込んで、兎に前に進んで行こう。一歩を踏み出し続ける限り、素晴らしい出会いと経験に恵まれ、世界を大きく広げていくことができる。

■横浜百景No.013 日本丸

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ランドマークビル横にある日本丸。昭和5年に建造された練習帆船なんだとか。戦時中は緊急物資輸送用に徴用されながらも戦禍を逃れ、昭和59年まで現役で航行。今はランドマーク横にある石造りのドックにて一般公開されています。

白い船体と美しいフォルムが、みなとみらいの雰囲気にマッチしていて、何だかいいかんじなんです。みなとみらいにお越しの際は、是非日本丸へもお立ち寄りください。

日々考撮とは?

日々考撮は、日々の風景と共にその日考えた事を思いついたまま自然体で綴る、プロトタイプ思考のアウトプットです。日々の「プロトタイプ」の地層から新たな着想と発展的アウトプットを生み出すことを目的としています。

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