効率化と努力の先にあるモノ

ここ最近は内省期間なので、BLOGの内容が暗くなってしまい何だか申し訳ない。近頃ちょっと考えていたというか、悩んでいたのが、

・仕事を効率化したり、努力して能力を研鑽する先には一体何があるのか?
・努力の方向ははこれで本当に良いのだろうか?

・僕が読書をするのはやってますというポーズで、実は不安から逃げているのではないか?
・BLOGでは自分で自分を強く見せてしまっているのではないか?

・・・等々。ちなみにTwitterに呟いた様子は以下の通り。

■仕事を効率化や努力することに目を奪われすぎていないか?
先に挙げたような悩みに一筋の光明を与えてくれたのは@kazumotoさんの記事
芸術の効用と、豊かな人生を送る秘訣Find the meaning of my life.
だった。その一節、@kazumotoさんの恩師の言葉

「私見をまとめるとね、芸術というのはね、忙しい心からは決して生まれない。貧しい心からも生まれない。それでは人を『感動』させることはできないんだ。たとえば美しい花が目の前にあってそれに気づけるかどうか。貧しく凝り固まった心では気づけないだろう。よしんば気づいたとしてその美しさを相手に伝えることができるかどうか。美しいものを「私はこれをこう美しく感じましたよ」ということを感動を持って、熱をもって伝えられれば立派な芸術活動と言えるんじゃないかな。さて、今の君の心の有り様はどうだろう?すぐそこにある花に気づけるかな?気づけたとして伝えられるかな?」

なんだかがつんとやられた気分だった。忙しいとか、大変だとか、頑張ってるとか、駄目な自分がいやだとか、そういうあくせくした気持ちだけで前に進めている気持ちになっていた自分が愚かしいとさえ思った。芸術・・というと敷居が高く感じられるが、ふと目をやれば身の回りに美しいモノはたくさんある。僕は忙しい気持ちになる余り、目の前の美しい景色に目をやることもなく、日々の何気ない幸せが感じられないぐらい不感症になっていたのではないかと。
国家の品格で、数学者の岡潔氏について書かれたこの一節を思い出した

新聞記者からある時、「先生がおっしゃる情緒とは何ですか」と訊かれ、岡先生は野に咲く一輪のスミレを美しく思う心」と答えられました。

僕自身、仕事の効率化も努力も質量共に全く足りず、もっと頑張らなければいけないのも事実。だからといって、肩に力を入れすぎて、それ以外見えなくなって、もっと大切なモノを見落としてしまうことは絶対に間違っていると思う。僕はこれからも頑張りたいと思っているが、できればもっと自然体に、もっと色々なものを感じられる情緒をもった”大人”を目指していきたいと思っている。そして願わくば、他人に自分の心の熱を伝えられる人間になりたいと思う。
■読書すること自体に満足していないか?不安から逃げているだけではないか?
僕にとって読書は楽しみの一つである。ビジネス書も必要に駆られて読むこともあるが、多くの場合自分の興味が赴くままに読んでいる。読書をすることで僕は成長しているつもりになっているが、果たしてそうなのか?僕は読書をしているという自分の行為にただ安心しているだけではないか?・・・こういったことを考えるようになったのはスマイルズの「自助論」を1年ほど前に読んでから。
その時に線を引いたのは以下のような文章だった。

  • 知識の価値とは、どれだけ貯えたかではなく、正しい目的のためにどれだけ活用できるかにある。
  • 人間は勉強量や読んだ本の冊数で賢くなるのではない
  • 本当の意味で賢くなりたいと願うなら、まず勤勉の習慣を身につけ、先達のようにねばり強く努力していく他はない。いつの時代にも、価値あることを為すためには努力という代償がつきものだ。だから、我々は目標を高く掲げて学問や仕事に励むことを本分とし、成果が現れるまで辛抱強く待つ必要がある
  • 単なる知識の所有は、知恵や理解力の体得とは全くの別物だ。知恵や理解力は、読書よりもはるかに高度な訓練を通じてのみ得られる

読書によって自らを高めることを目的にしていたはずなのに、いつしか本を読むこと自体が目的化している・・・という向きが自分自身に無かったかと言えば嘘になる。読書は知識を付けてくれるし、ものを考えるきっかけにもなるので、その行為自体の効用を否定するつもりはない。ただ、問題はその先の「知識をどう活用するのか?」もしくは「活用する場面が来たときの為にどの様に整理しておくか?」を考えることで、知識そのものの価値を高め、知恵や理解力といったものに可能な限り変換していく努力が出来ていないところにある。
答えは未だ分からない。ただ、分からないからこそその答えを求めて知識をつけ、考え、自らの言葉で語り、誰かと意見をぶつけ合い、より高い思考や理解へと昇華させていくのだと思う。その入り口である知識を付けるフェーズにおいて、読書が有効である・・・といことが分かっただけでも良しとしよう。

■BLOGで自分を強く見せていないか?

Hacks for Creative Life!は有り難いことに数ヶ月前と比較しても多くの方にお読みいただいている。だが、反響が大きくなるに従って、なんだかもっと良いモノを書かなければいけないと思う様になっていった。勿論、良い記事を書くことを目指すのは悪くないが、良い記事を継続して書けるような能力を身につけることこそが、アウトプットの場としての本BLOGの目的により合致していると言える。それこそTwitterで呟いた

僕がBLOGを書いているのは人の役に立つ情報を発信したい、自分自身を成長させたいから。自分を強く見せたいのではなくて、自分を強くすることが目的なのに、どこかで見栄を張っている自分がいるのも事実。そういう葛藤を抱いていることをもっと自然体に表現できればよいのだけど、その術を知らない。

という言葉の通り、僕は他人から強く見られたいのではなく、真に強くなりたいにもかかわらず、見栄をはって自分の実力以上のことを書いてしまっているのではないか・・・本当の僕はもっと弱いのに・・・という葛藤を常に抱いていた。
そんな折、Lifehacking.jp@mehoriさんが著書「情報ダイエット仕事術」の後書きの中で

この本で書かれた内容は、その多くがブログLifehacking.jpを運営する中で、多くの仕事術のブログを読み、欧米や日本の書籍を渉猟するうちに自分なりの考え方で体系化していったものです。だからといって私自身が本書の内容を完璧に実践できているかというとそうではなく、私自身が現在進行形で磨いているものでもあります

という言葉に出会った。僕は@mehoriさんの領域には億の単位で及ばないが、それでも今、このBLOGには自分自身の現在進行型で磨いているものを書いているという想いはある。そして、この一節を読み返して改めて考えてみた

どんなに表面的には自信を持っているように見える人でも、外からは理解できない劣等感を相手に生涯をかけて戦っているものです。

勿論、嘘八百を並べ立てるのは良くないことだと思うが、僕が目指す先にあることを書いたとして、それを負い目に感じる必要は無いのかも知れないのかもしれない。僕は弱くて駄目な人間かも知れないけど、だからこそ強くなろうと試行錯誤を繰り返し、できるかどうか分からないけど挑戦しているわけだからね。(出来もしないことを書くとか、言ってるだけでやらないというのは勿論論外だと思う。)
それでも現実とBLOGの自分のギャップに苦しむようなことがあればこの一節を思い返すことにしようと思う

「それはいいね。でも自分も、1年後にはこのスキルを身につけているつもりだ」

悩む間に前に進めば、悩みの種であるギャップもきっと埋まることだろう。
※何だか日本語が破綻しているところがあったので一部追記(12月11日)

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