自分は何の専門家か?

僕が大学生をやっており、就職活動も行った2000年代初頭はよく
「これは誰にも負けない専門性をもて」
と言われた物だ。しかも、それは何か一つではなく、二つ以上。I字型ががひとつ飛び抜けた専門性を持つ型だとすれば、T字型が一つの専門性と幅広い知識を持つ型で、π(パイ)字型が二つ以上の専門性を持ち更に広く知識を持っている型となる。
そのあたりはネットを調べればいくらでも文献にあたることができる。
http://sangyo.jp/special/20050630.html
http://porters014.blog73.fc2.com/blog-entry-5.html


僕らはふとTVの中の人々や報道番組で取り上げられるような人々を”別の人間””住む世界が違う人間”と決めつけがちである。しかし、彼らは幸運だったからとか、そういう運命だったからとか、そんな理由でそこにいるわけではない。勿論、持って生まれた才能もあるのだろうけど、彼らはそこに行きたいという思いがあり、そこに行くための努力を重ねてきた結果なのだ
ただ単純に、彼ら彼女らとは目指す方向が違ったというだけであり、自分の戦う場所を定め努力を行う事で、他の人では到達し得ない境地に達することも可能なのだ。その為には鍛錬が必要であったり、何かを捨て、何かを犠牲にする必要も出てくるかも知れない。その道を突き進むための時間やお金、体力や頭脳と言った資源は有限なのである。
だから、僕らは自分の専門性、もっと言えば生きていく道、領域というものを定め、その中で自分の価値を高めるための努力を行っていかなければならない。それは高度な科学技術の知識かも知れないし、MBAの知識や金融工学の知識かも知れない。また、知識ではなく、精巧な技術でもって木材や金属を加工することかもしれないし、美しいアクセサリーをデザインすることかも知れない。
ただ、勿論そんな生き方なんて興味がないよ・・・という人もいるだろう。生き方は人それぞれなのである。ただ、もしも他人を羨み、自分の才能の欠如や運のなさを嘆いているのであれば、もう少し前向きに考えてもらいたいと思うのだ。そんな時には

自分は何の専門家か?
どの道で生きるのか?

と自分自身に問いかけてみては如何だろうか?
彼ら彼女らと自分は違う人間なのであり、別に羨ましく思う必要など無いのだ。剣道や柔道だけが極めることができる「道」ではない。無線技術で生きていこうと思うなら無線道を極めればいいし、金融で生きていくと決めたなら金融道を極めればいいと思う。
と、ここまでとんでもなく偉そうなことを言ってきたが、このこと自体は今自分が将にぶち当たっている壁なのである。自分の不甲斐なさや自分の足らざるに悩み、他人を羨み、自分が生きるべき道を見失っている。
僕はそれなりの専門知識を持って働いているが、それでも「コレは誰にも負けない」という領域には達していない。世の中上には上がいるわけだし、自分の特性
や性質というものもまだ見極められていない。ただ、一つ言えることがあるとすると、僕はIT業界やIT技術という領域において生きていくことは確かだろう
し、その中で生粋の技術屋として生きていくことはない
と思っている。ただ、その先が見えないのである。今の仕事の中で、自分はどの方向に進むべきなのか?
僕は次世代の無線技術や、大規模システムを構成する高度なIT/NW技術プロジェクトマネージメント品質管理大きな組織で働くと言うことその中で物事を進める難しさ、人と人が関わるが故に生じる感情的な問題、価値観の相違から生まれる軋轢・・・そんな様々な要素に押しつぶされそうになりながら仕事をしている。それはそれで幸せなことなのかも知れないし、不幸なことかも知れない。
ただ、僕は自分が負っている責任を果たし、期待に応えなければいけない。そして、残念ながらこれまでに築き上げてきてしまった不信や不評といったものも取り返さなければいけない。進むべき道が分からないからと言って、立ち止まっていては事態は悪化するばかりなのだ。サッカー日本代表ではないが
考えながら走る

ことは、どんな仕事をやっている人にもあてはまることだと思う。考えトライ&エラーで選別し、自分がこれだと思ったことには全力を投じるのみなのだ。そして、その時如何に、戦略的に、多角的に、また抜けなくもれなくやっていけるか・・・その為に様々な仕事術があり、ツールとしてフランクリン・プランナーの様な手帳があるのだと思う。
まだ先は見えないけれど、僕は走りつづけ、考え続けたいと思う。

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