【書感】改めて『仕事は楽しいかね?』は人生の座右の書であると確信した

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久しぶりに出会ったマックス翁は僕が記憶する声より幾分年老いた声で問いかけてきた。

仕事は楽しいかね?

マックス翁とはじめて出会ったのは社会人3年目。
あの頃は仕事が辛くてしかったなかった。

6年経った今、改めてマックス翁の話を聞いてみると、すっかり忘れていたこと、かつては気にならなかったけど今はとても気になること、6年の間に成長できたことなど、実に多くの気づきを得ることができた。 

■マックス翁との再会

少し前に記事で書いたガネーシャとの再会に続いて、今度はマックス翁とオーディオブックで再会することができた。なんというか、この短い期間にFebeが、社会人3年目でどん底にいた僕を救ってくれた2冊をラインナップに追加してくれたことに運命の様なものを感じた。


 

むさぼるように「仕事は楽しいかね?」のオーディオブックを聴き漁った。
聴き終えた後も、2周目、3周目と聴き直しているうちに
ふつふつと、心の奥底にある混沌とした感情が揺さぶられた。 

かつて書籍で読んでいた頃に聞こえていたマックス翁の声とは少しイメージが違ったけど、そこから流れてくる言葉の数々は、たった数度の失敗を乗り越えられず失意のどん底にいた僕を救ってくれた珠玉の金言達であった。

いくつか個人的に気に入っている部分を紹介したいと思う。

■試してみることに失敗はない

試してみることに失敗はない(pp29)

この言葉は失敗の最中で絶望している僕に一条の光を与えてくれた言葉だ。僕がやらかした失敗は、真の意味での失敗では無く、試した結果うまくいかなかったことでしかない。「失敗」という憑きものがすっかり落ちた気分だった。

この言葉に出会って以来、僕は失敗を以前ほどは恐れなくなったし、結果何度となく失敗を繰り返すことにもなった。
その時々で気を付けていたことは次の3点だ。

  • かならず「致命傷にならない失敗」に抑え込む
  • リスクを取った結果である想定内の失敗は後悔しない
  • 失敗の責任から逃れることはしない

この本に出会って以来、死なない程度の失敗はむしろ財産であるとすら思うようになった。失敗にせよ、過酷な状況にせよ、苦しい時期を乗り越える時には成長が伴うからだ。ただ、失敗というのは往々にして蓋をしたくなってしまうものだし、そうやって先送りすることで徐々に「致命的な失敗」へと事態が悪化してしまう。失敗が露見することを恐れるよりも、致命傷になる前に失敗を明るみにだすべきなのだ。

そして、失敗には後悔がつきまとう。失敗からは大いに学ぶべきだし、臥薪嘗胆の故事にならって失敗を自分の戒めに使うのも良いだろう。しかしながら、グルグルと「なんであの時に・・」と悔いてその場に留まっていても何も得るものは無いので、自分の中である程度想定できていた失敗なのであれば「自分の選択の結果なのだから致し方なし」と割り切って気持ちを切り替える方が良い。

最後に、失敗を自分の中で肯定的に捉え直し、後悔することを止めたとしても、自分が負うべき責から逃れるような行為は絶対に取るべきではない。取るべき責任から逃れることは自らの成長の機会を放棄する事に等しく、他人からの信頼を著しく損なわせてしまう。

勿論、僕自身こういうことが完全に出来ているわけではないし、特に気持ちの切り替えの部分ではまだまだ未熟であることを認めざるをえない。それでも、失敗と失敗を乗り越える経験を繰り返す中で少しずつできるようになってきたという実感は持っている。マックス翁と出会ってから6年でそれなりに成長できた、ということなのだと思う。

■コイン投げの達人になる

実を言うと、マックス翁の「 試してみることに失敗はない」という言葉は、失敗からの立ち直り方について述べたものではない。意味合いとしては「色々やってみて、成り行きを見守る」というものだ。失敗を恐れるなと言う意味も含むが、どちらかと言えば変化し続けることの価値を説くものだ。

問題は、才能のあるなしでもなければ、勤勉かどうかでもない。 コイン投げの達人じゃないってことなんだ。

必要は発明の母かも知れない。 だけど、偶然は発明の父なんだ。(p61)

マックス翁は成功する人をコイン投げの達人と表現する。1000人が同時にコイン投げを行うとして、確率論上表を出し続けられる人は7回コインを投げた時点で8人程度となる。たまたまかもしれないが、7回連続表を出した人は1000人中8人しかおらず、その人は事実として表を出し続けている「コイン投げの達人」なのだ。

勿論、成功はただのまぐれ当たりではない。勤勉であるとか頭が切れるといった成功の”前提条件”を備えた上で勝負に望む必要がある。しかし、それではコイン投げのステージにエントリーしたに過ぎない。もっと重要な事は「コインを投げ続ける」ということなのだ。

少し抽象的だし、ぱっと聞くとなんだか実生活からは遠い話の様に聞こえるかも知れない。しかし、ことはそれ程複雑でも難しい話しでもない。例えば、もっとエキサイティングな仕事をしたいと願うのなら、上に掛け合ってみるとか、企画書を書いてみるとか、それでもダメなら独立や転職という選択肢を取るということがコイン投げに相当する。

自分の仕事に変化を求める気持ちがあるだけでは何も起きないが、変化を起こすための行動をあれこれ試してみることで、大小様々な変化が実際に起こすことができるのだ。勿論、望みどおりの状態にするためには、その状態にふさわしい能力が備わっているという前提条件付きではあるのだけれど。

■完璧の上/平均より上という平凡

何か重大なことに挑む時には計画を立てると思う。社運をかけたプロジェクト、起業という一世一代の決断、仕事以外でも結婚や家の購入など、 こういった事柄に適当に対応する人というのはそうそういるものではない。

では、その時に立てられた計画や、それを日々遂行する行動は完璧だろうか? 
もしも、それが完璧だというのなら、その完璧という基準はどこからくるのだろう?

マックス翁が引き合いに出したのは世界的なフルート奏者のジャン・ピエール・ランパルの言葉だった。 

努力に努力を重ねて、コンサートである曲を<完璧に>演奏できたとします。そうすると、私はまた努力に努力を重ねて、翌日のコンサートでは<さらに素晴らしい>演奏をするんです。(世界的なフルート奏者ジャン・ピエール・ランパルの言葉 p87)

完璧よりも更に素晴らしいものを目指す。それって、元々完璧じゃないんじゃないって思うかもしれない。でも、ある時点で完璧に見えたことが、後からより良くなるということは往々にして起こりえる。

しかし、一つ注意が必要だ。例えば、自分自身がその業界で一歩ぬきんでた存在になろうとすると、多くの場合その世界の第一人者をベストプラクティスとしてその人の成功の秘訣とやらを実践するのだろうと思う。

彼らはね、他人を凌駕する人材になろうとしているけど、それを他人と同じような人間になることで達成しようとしているんだ。(p80)

問題は、平均より上の人があまりに多くて、みんな普通になってしまっているってこと(p110)

 勿論、人によって能力も違えば、努力の中身も異なるだろう。だけれども、皆が皆と同じ様にベストプラクティスの模倣をやっているのであれば、結局はみんな模倣者であって革新を生み出す人にはなれないということだ。

■アイデアに相応しい人になる

 では、革新はどこから生まれるのかというと、「試してみる」というコイン投げに戻る必要がある。

マックス翁はコカ・コーラの創設者ジョン・ペンバートンとリーバイスの創設者リーバイ・ストラウスがそれぞれに素晴らしい商品のアイデアをたまたま見つけ出したことを引き合いに出して問いかける。

もし宇宙が信じられないような素晴らしいアイデアをくれるとして、きみはそれにふさわしいかね?(p116)

ジョン・ペンバートンは薬局で販売する新商品の開発研究に熱心に取り組んでいたし、リーバイ・ストラウスは北アメリカ大陸を東から西に横断して商品を売り歩くなかで売れ残った帆布をどう有効活用すればいいかを考えていた。

あれこれ試行錯誤するなかで、たまたま革新という名のアイデアが目の前を通り過ぎることもあるかもしれないが、それに気づくことができるのは「その事」についてずっと考えているからだ。

しかし、そんな革新的な商品アイデアなんて「しがない普通のサラリーマン」には到底思いつくことはできないし、思いついたとしてもそれを形になんてできっこないと思うかもしれない。僕がなぜそう思うかと言えば、かつて僕もそう考えていたからだ。

<みんな>、そう言うんだ。<ほかの人>には簡単なことだって。まず第一に、<ほかの人>には時間がある。それから、そう、<ほかの人>にはおかねもある。もちろん、<ほかの人>にはコネもあるってね。(p124)

 一部の天才だけが素晴らしいアイデアを思いつき、潤沢にヒトモノカネを動かせられる人がそれを形にすることができる。この「逆特別意識」こそが、宇宙から贈られる素晴らしいアイデア、他書の言葉で言えばセレンディピティから自分自身を遠ざけるのだと思う。

■マックス翁との再会に想う

とはいえ、僕は別に成功者というわけでもないし、他人を凌駕するような凄い人材でもない。しかし、マックス翁と出会ったこの6年の間に随分と人生に対する向き合い方が変わったと思う。

基本的にどんなことに対しても自分には無理だと思う事を止めたし、あれこれ試してみるようになった。文中にも書いたとおり、失敗にも強くなった。仕事は好きなことばかりやれているわけではないけど、自分なりに「打ち手」を考え、上手く物事を運ぶための試行錯誤を繰り返すなかで着実に成果は出せていると思う。

マックス翁との再会は、6年前失敗に打ちひしがれ小さく震えていた自分との再会でもあった。あの頃から出来るようになったこと、挙げてきた成果、そして人生や仕事に対しての向き合い方の変化を知ることができた。そしてもう一つ、自分がブログをはじめた原点も思い起こすことが出来た点もとても良かったと思う。

僕がHacks for Creative Life!をはじめた理由の一つは、6年前の自分の様に悩む人の力になりたいという想いからだった。この想いに改めて向き合い、これまでに学び実践してきたことをこれまで以上にしっかりと発信しなければと決意を新たに出来た。

参考文献


仕事は楽しいかね?

夢をかなえるゾウ

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