祖父の容態

GWの前半、彼女を連れて大阪の実家に行きました。
親への正式な挨拶と、母方の祖父、父方の祖母を見舞うために。
父方の祖母は完全に僕のことを忘れていましたが、
元気そうで何よりでした。
母方の祖父は、状態が良くないようでした。
嚥下が上手くできず、口から物が食べれなくなって
しまったのです。


医者からは食道にチューブを入れる形で延命措置をするか、
このまま点滴を続け、少しずつ衰弱していずれ死を迎えるか
どちらかを選択するように宣告されたとのことです。
僕が見舞いに行ったときは、まだどうするかは決まっていなかった
のですが、叔父の意向や祖父が元気な頃に「何かあっても
延命措置はしなくても良い」といっていたことから、恐らくは延命
措置はしないだろうと、母親に教えられました。
僕は小さい頃は母方の祖父母にすごく面倒を見てもらっていて、
毎週のように祖父の家に泊まりに行っていました。小学4年生の
頃に祖母が亡くなってから段々と足が遠のき、中学・高校と
部活をするようになってから、ほとんど泊まりには行かなく
なってしまいましたが・・・
その辺の思い出話は下記のblog記事参照
http://pei.seesaa.net/article/115351661.html
そんなお爺ちゃんっ子だった僕に、母親が配慮してくれて、
「あんたは特におじいちゃんに世話になったからな。気が済む
 までここ(病室)にいたらいいよ。」と言ってくれました。
もしかすると、僕にとってはこれが最後になるかも知れない・・・
そう思うと、胸が詰まりそうでした。
祖父は少し苦しそうで、反応もあまりなかったのですが、
それでも話しかけて、一緒に来てくれた彼女を紹介して、
今度結婚することを報告することができました。
祖父はじっとこっちを見て、こちらが話すことにただ
頷くだけでした。
「ベッドを上げる?」と聞けば、「あげて」と答えてくれるし、
枕の位置を直そうとすれば、頭を上げてくれました。
寒いとか、苦しいとか、眠いとか、聞けば頷くだけでなく、
しゃべって意思表示をしてくれました。
そして、看護婦さんが「今日は誰が来てくれてるの?」
と聞いたときに「真也君と娘さん(母親のこと)」と答えました。
僕のことをちゃんと認識してくれて、名前を読んでくれた。
それだけのことなんだけど、凄く嬉しかったです。
3月に緊急入院したときは、意識がなく、その後もしばらく
は意識レベルが良くない状態が続きました。そこから、
食事ができるようになり、意思疎通ができるようになり、
この前は母親と竹の子掘りについて話をするぐらいにまで
意識レベルが回復したといいます。
もう2度と意識のある祖父とは会えないかもしれない。
もう2度と祖父に名前を読んでもらうことは無いかも知れない。
祖父の意識がある内に、結婚を報告しておけばよかった。
・・・そんなことを3月時点では思っていました。
でも、僕は祖父ともう一度意思疎通がとれ、もう一度名前を
読んでもらえ、そして結婚の報告を、実際に彼女を連れて
行うことが出来ました。だから、凄く嬉しかったのです。
そして、嬉しい反面、これだけ色々なことを認識し、意識も
ある祖父の延命措置がされないという話を今日聞き知り、
分かってはいたけど凄くショックでした。
点滴で摂取可能な栄養分はごくわずかです。静脈からの
栄養点滴か、食道にチューブを入れる手術を行わなければ、
日に日に衰弱していくのです。
ただし、手術を行った場合は体への負担が大きく、それに
耐えきれずに亡くなってしまうケースもあります。
祖父の意志を尊重し、祖父の体への負担を考慮し、これまで
ずっと身の回りの世話をしてくれた叔父家族の負担を考えた結果、
母を含む3人の子供が出した結論でした。
願わくば、大好きな祖父が安らかな最期が迎えられますように。

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